天に見えるは、月



しかし岩佐部長が『困ったなぁ……』と呟いた理由はちょっと違うところにあった。

その本当の意味を香凛が知ることになったのは、総務課での業務最終日。午前中、移動しても差し支えない自分の荷物を台車に乗せて営業一課に運んだ時のことだ。

これから隣の席になる弓削 充(ゆげ みつる)が香凛を見るなり「災難だね」とため息交じりに話しかけてきたところから始まった。


「災難、ってやっぱりモ……中村課長のアシスタントのことですか?」

モンドが席にいなかったのをいいことに、香凛はモンドの名前を出して様子を探ってみる。

「まあね。総務課からの転属っていうことも、災難と言えば災難だろうけど」

このエリート集団の中でめずらしく、弓削は物腰も柔らかでとっつきやすい印象だ。年齢は二十八と香凛よりも三つ上らしいが、童顔のせいか同い年か年下と言われても納得出来てしまう。

弓削はいたずらっぽく笑みを浮かべた。


「ねえ。業務に就く前に、この課のこと知っておきたくない?」

「そう、ですね」

「じゃ、今日一緒にランチに行こうか。社食の前で待ち合わせしよう」

いきなりの誘いに一瞬構えたが、営業一課のことを何も知らない状態で業務に入るのは不安しかない。香凛は、恐る恐る弓削の誘いに乗ってみることにした。


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