天に見えるは、月
「噂で聞いたりして知っていると思うけど、モンドは厳しいよ。この前までモンドのアシスタントをしていた彼はモンドの要求にうまく応えられなくて、思いつめてうつ病になっちゃったからね」
弓削は容赦なく追い打ちをかける。香凛はつまんでいた回鍋肉をついにポトリと落としてしまった。かろうじて皿の上で助かった。
「うつ病、って……その人大丈夫なんですか?」
「うん、まあ今は会社の計らいで支社に移って、病院通いながら働けるようにしてもらってるみたいだけど」
不安に押しつぶされそうになりながらも、香凛はある噂を思い出した。
「……あの、以前営業一課にいらしたかたがモンドに耐えられなくて『もう出世できなくてもいいから、自分をどこかに異動させてくれ!』って人事課に直談判したっていう噂は……」
「ああ、それも事実」
とんでもないことをさらりと認める弓削に、香凛は逆に恐怖を感じた。そんな現場を何度も見てきて、もしかしたら少なからず体験してきて、きっと感覚が麻痺しているに違いない。
「ひとつ、質問してもいいですか……?」
「ひとつ、って。さっきからもう質問してるじゃない」
弓削はそう言ってケラケラと笑っている。それもそうだと思ったのだけど、香凛はもういっぱいいっぱいでそれに返す余裕など微塵もない。
弓削は香凛の心の内を察したのか「なに?」と微笑みながら小首を傾げた。
「話を伺っていると、モンドは“パワハラ”で訴えられてもおかしくないレベルだと思いますし、会社もそんな人間がいたら注意すると思うんですけど……どうして誰もなにも言わないんですか?」
一転、弓削は真面目な顔になった。