天に見えるは、月
「はあ……」
体中にコーヒーが染み渡ると、ちょっとだけ癒された気がした。
モンドはと言えば、朝にとんでもない量の仕事を言いつけてすぐ取引先へと消えていった。難しいものはなくほとんど雑務ではあったものの、とても一日で終わる量ではない。考えただけでうんざりしてしまう。
「……まあでも、いないだけまだきっと楽だよね」
モンドのアシスタントと言ってもこんな調子で顔を合わせる時間が短ければ、仕事は多くてももしかしたらあまりストレスを感じることはないかもしれない。
そんなことを思いながら香凛がもう一度カップに口をつけたところで、「おい」と後ろから声が掛かった。
どきりと肩が跳ね上がる。声の主が誰かなんて、振り向かずとももうわかっていた。
「こんな時間に休憩なんて、いい身分だな」
おそるおそる振り返ると、モンドは眉間に皺を寄せてこちらを睨んでいた。この人はこんな怖い顔も絵になるから困ったものだ。
「あ、の……ちょっと喉が枯れてきてしまって……弓削さんがそれに気づいてくれて、なにか飲んできたらと……」
声が震える。言ってから、弓削の名前を出したのはまずかったかもしれないと気づいたが後の祭りだ。
「頼んだ仕事は終わったのか?」
「……いえ、まだ」
「書類の整理もか」
「……はい」
電話と格闘しながらだったから、仕事はほとんど進んでいない。香凛は顔が上げられず、紙コップの中のコーヒーを見つめる。
「俺に啖呵を切った割にはたいしたことないな」
モンドの勝ち誇ったような声が頭上から聞こえた。かちん、とどこからか音が聞こえたが、そのとおりだからなにも言い返せない。
「……すみません」
「明日の昼までには終わらせろ」
モンドの足音が、オフィスの方へと消えていく。
……悔しい。
「……バカにされたままでたまるか」
香凛は一度ため息を吐き出し、コーヒーを一気飲みした。