天に見えるは、月
*
「じゃ、お先するよ」
「お疲れ様でした」
香凛は岩佐部長が乗るタクシーに向かって深々と頭を下げた。
無事に終わったという安堵感からか、なかなか体が起こせない。体をくの字に折り曲げたまま、大きく息を吐き出す。
「……もう行ったぞ」
モンドにそう言われて、香凛は膝に手をつきながらゆっくり体を起こした。
「すみません、なんだか気が抜けちゃって……」
「酔ってるわけではないんだな?」
モンドはいつものように眉根を寄せている。酔っていたら面倒だとでも思われたのかもしれない。
「あ、はい。それは大丈夫です」
確かに今日は「いつもは男ばかりの飲み会だから華がなくてねー」と、接待相手の人達にたくさんお酒を勧められてしまった。グラスが半分空くたびにどうぞどうぞと、もうどっちが接待されているのかわからなくなるほどだった。
幸い、酒豪だったと言われている母方の祖父の血を受け継いだらしく、お酒には強い。普段は可愛げのない女だけど、こんな時はその体質が役に立つ。
「ならいいが」
モンドもたくさん飲んでいたと思ったけど、見た限り顔色ひとつ変わっていない。さすが営業職というべきか。
さすがと言えば、やはり接待でもモンドはさすがだった。接待相手の部長の好みは当然熟知しているし、喜ばせる術も心得ている。
最後に向こうの部長に渡した手土産は、彼の大好物である老舗『鶴丸』のどら焼き。人気で午前中には完売してしまうと聞いたことがあったけれど、モンドはそれをしっかり持参してきていた。部長が大喜びしたのは言うまでもない。
本来ならばそれはモンドのアシスタントである自分の仕事なのだろう。今後はそういうことにもしっかり気を回さなくては、と香凛は心に刻む。