天に見えるは、月
黒木課長は前置きが長い上に、本題からずれることもしばしばだ。多分、今日もこのままでは真相にたどり着くまで時間が掛かってしまうに違いない。
香凛は意を決して黒木課長に切り込んだ。
「あの、課長。どうして営業一課は急に女性正社員の起用を決めたのでしょう?」
黒木課長は一転、「うーん」と考え込むような素振りを見せている。
なにもわからないのに適当に推したんだろうか、このハゲは……と香凛は頭の中で毒づいた。
「わたしもその辺のことは詳しく聞かされてないんだが、とにかく処理能力に優れていて、上司の指示を素直に聞く人間が欲しいということだったんでね」
処理能力に優れているかどうかはよくわからないけれど、確かに今まで上司に逆らうことなく仕事をこなしてきた。素直に従ってさえいれば、自分を、そして“居場所”を守ることになるとわかっていたからだ。
まさか、それがこの事態に繋がることになろうとは思いもよらなかった。
「その条件で、わたしのことを推薦して下さったなんて恐縮です」
「いやいや、うちの課でその条件に当てはまるのは橘さんしかいないだろう」
褒められているのだと、この場合は素直に受け取ったほうがいいのだろうか。
「ありがとうございます」と香凛は一応、黒木課長に頭を下げる。
「営業一課にうちから人材を送り出せることも上司として鼻が高いが、初めての女性起用が総務課からということも、本当に誇らしいねえ」
なるほど、黒木課長がご機嫌な理由はそこか。自分の部下が評価された、イコール、自分の評価にも繋がるということなんだろう。
香凛はもう一度「ありがとうございます」と黒木部長に深く頭を下げて、またも小さくため息をつきながら応接室を後にした。