天に見えるは、月


「そういや香凛って、営業一課に異動になるんだってな、あのモンドのいる」

「……うん」

口ぶりから察するに、勇作は社内回覧を見たのではなく誰かから話を聞いたのだろう。

「またスゲーところに異動になるもんだな」

「本当に……」

香凛は傍らに置いていたお茶に手を伸ばす。冷房がきいていたから冷えているかと思いきや、予想に反して少し生ぬるかった。


「営業一課に行ったら、仕事中に香凛の顏が見られなくなっちゃうなー」

寂しい感じに聞こえるように言っているつもりなのかもしれないけど、口角が僅かに上がっていることに自分では気がついていないのだろう。
香凛はまたそれに気づかないふりをして、寂しげに微笑んでみせる。

「……そうだね。わたしも仕事中に勇作の姿が見られなくなるのは寂しいよ」

言ってから、心の中に罪悪感のようなものが湧き上がってきた。もしかしたら、本当はそんなに寂しくないのかもしれない。

わたしも嘘つきだな、と香凛は心の中で自嘲する。

客観的に見れば、いや客観的に見なくとも、この状態が不健全なことぐらいよくわかっている。それでも今、この居場所をなくすわけにはいかない。居場所を守るためなら、そこに愛が足りなくても構わないから――。

「俺、シャワ―浴びてくるわ」

「……うん」

空虚さが漂う部屋で、香凛はただTV画面の中の侍をぼんやりと見つめていた。


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