初恋ブレッド
「できたっ!」

朝陽とパンの芳ばしい香りが陽だまりで花咲くハピネス。
今日は綺麗に焼き上がった。

本来土曜日で休みなのだけれど、出張でずれ込んだ仕事を片付けるために休日出勤した彼へ、差し入れ。

私服でくる会社は新鮮。
前髪もコンタクトもバッチリ決まって気分爽快。
瑞々しい空気が私の世界をクリアにした。

ちょうどお昼の時間に合わせてドアの隙間からオフィスを覗くと、片肘をついてPCを睨む彼を見つけた。
いつも思うけれど、仕事中の目つきはグサッときます。
なんとなく、カチカチと鳴るマウスの音が止まるのを待った。

「……お疲れ様です」

邪魔じゃないかな、と。
控えめに声をかければ、すぐに返ってくる柔らかい笑顔。
ベビーピンクのルージュが口元で綻んだ。

「焼き立てです」
「おー!ありがと。いい匂い、だ、な……」
「司さん?」

パンの入った紙袋を嬉しそうに受け取ってくれたのだが。
私を注視したまま固まってしまった。

「リップ?いつもと違う?」

首を傾げながら私の頬を包んだ両手が、チークよりも濃い桃色を染め上げる。

「は、い……」
「うん。可愛い」
「……っ!」

くらりと貧血が起きてよろめくと、グイと引き寄せられた体が彼の膝の上に乗った。

「えっ!あ、あの!?っ」
「お前パンみたい。ふにふにしてて気持ちいいなー」
「……失礼ではないですか?」
「最高の褒め言葉だぞ」

ふにふに……。
ダイエットしようかな、なんて悩む私を知ってか知らずか。
司さんに呼ばれ振り向くと、上目使いの彼が可愛いくてキュンとする。
普段間近で見下ろしたりしないし、後ろから抱き締められる密着感に酔いそうです。
顔を赤くする私を、不吉な笑顔が追い込んだ。

「ところで。俺が怒ってないとでも?」

「……え?」
「お預けの意味、わからなかった?」
「……えっと」

わからなかったです、とは言えずに。
冷や汗を流して動けない体を、少しでも遠ざけようと背中を反らす。

「逃げるな」

司さんが急変しました。
笑顔が怖いです。

「一件落着ねぇ?ごめんなさいなんて突然言われて、俺がどれだけ焦ったと思う?」
「……え?」
「あの思わせぶりな去り方、どーゆーこと?俺を弄んで楽しい?」
「弄ぶだなんてっ!約束やぶるからごめんなさいって」
「あれでわかるか!別れましょうごめんなさいかと思ったよ」
「えっ、そんな……!嫌です」
「まったく。一人で突っ走って、なんかあったらどうすんだ!」
「で、でも。佐川専務もわかってくれたし……」
「ほー。結果オーライみたいな?違くね?」
「す、すみませ……」

彼の迫力に血の気が引いてゆく。
守りたかっただけなのに、傷つけてしまったのかな。

「どうしたのか聞いても絶対言わないし。寂しいだろ」
「……ごめんなさい」
「迷惑とか忙しそうとか考える前に……」

抱き込む腕をぎゅっと締めつけて俯いた司さんが、私の襟元に頭を預けた。
窓から差し込む太陽の光は彼の髪をキラキラと照らして、サラリと揺れるたびにダークブラウンが反射する。

「頼ってほしいんだよ」

司さん……。

「俺だって、必死なんだぞ。お前がいないともうダメなの」
「……はい」


嬉しくて、切なくて、涙と一緒に頷いた。
< 114 / 115 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop