君をまとえたら
α.そんな風に
「おはよう。」
俺の声に彼女は顔を上げた。
「おはようございます。」
彼女は総務課のカウンターで書類待ちをしていた。
朝一に出来上がるのを受け取り
そのままセミナーへ出席しなければならないようだ。
場所は社外の多目的ビルだろう。
午後一にまた戻り
今朝見たデスクの山を残業してでも
何とか減らさなければ
明日もまた残業になってしまうとでも思い
憂鬱な面持ちだ。
「社外研修だろ?」
「はい。」
「そこまで送るよ。終わったら迎えに行くから昼飯に付き合え。」
「香取さん、あのですね。」
俺の強引な言い方が気に食わないのか反論してきた。
「いいから。」
「全然よくないです。」
「予定があるのか?」
「昼抜きで残業です。」
「あっそ。」
この俺、香取雄二の誘いを断るとは。
外為の聖女、長谷川セナ。
ガードが固すぎる。
「香取さん。」
意外にも呼ばれて
俺は聖女の顔を見下ろした。
「お言葉に甘えて、行きに送っていただけるならお願いいたします。」
行きだけか?
「帰りはどうする?」
「徒歩で戻ります。」
「それじゃ意味ないだろ。」
「私は助かります。」
「そういう問題か?」
聖女らしからぬ物言いに
俺は興味を持った。
「ギブアンドテイクという言葉を知らないのか?」
「私の辞書にギブはありません。」
言い切る辺りがすげぇな。
気に入った。
「わかった。送るよ。」
「ありがとうございます。」
聖女の前で俺はあっさり下僕に成り下がった。
今まではこんな展開にはならなかった。
俺が声をかけた女は誰でも必ず落ちた。
この聖女以外は全員だ。
これがどういうことなのか
まだ飲み込めていなかったが
彼女は俺の前をスタスタと歩き
それを追う形で俺は後に従った。
こんなのは有り得ないと気づく暇さえ
俺には与えられなかった。
セミナー会場があるビルの駐車場に着いた。
「香取さん。」
セナは俺を呼ぶことに慣れたようだ。
ツンとすまして俺を見た。
ふわふわとくせ毛が揺れるのを
眉を寄せて気にしていた。
「ありがとうございました。帰りは結構ですので。」
念押す辺りがクソ真面目だ。
「セナ。」
俺が呼び捨てすることにも慣れたようだ。
「何でしょうか?」
まるで何かを聞いたら
いや、会話をしたらいけないような口調だ。
「何でもない。」
助手席のドアを開けて出ていくセナを
俺はハンドルにもたれて眺めた。
「セナ。」
また呼ばれたことに嫌そうな表情で
片足を外に出したまま振り返り
俺をにらんだ。
「そんな風ににらむなよ。」
「にらんでません。」
「じゃ、もうちょっとゆるい目線で頼む。」
俺の言葉にセナは眉を吊り上げた。
「ゆるい目線ですって?」
やべぇ、怒らせたか?
「いや、今のはなかったことに。」
するとセナは目を大きく見開いた。
これは完璧にご立腹だ。
俺はゴクッとつばを飲み込んだ。
「香取さん。」
「はい。」
ここは素直に返事をしておくことにした。
「天然のたらしって本当ですか?」
聖女撤回だ。
俺ができる最低限の丁重な態度をやめた。
「そんなこと、誰に聞いたんだ?」
「自然に私の耳にも入ります。」
「じゃ、俺も言わせてもらうが。」
「何でしょうか?」
「聖女とは聞いて呆れる。」
セナはフンと鼻を鳴らした。
その態度に俺は完全に遠慮を捨てた。
「そんなんでいいのか?そんな風に男をあしらうことに意味があるのか?」
「何も知らないくせにわかったような口を聞かないで。」
俺は驚いて絶句した。
いきなり食って掛かる相手をまじまじと見ていたら
場の空気が白んだ。
「もう行きますから。」
そう言い捨ててセナは助手席から腰を浮かせた。
「セナ、待って。」
俺はとっさに彼女の腕をつかんだ。
「まだ何か言い足りないんですか?」
「悪かった。」
つかんでいた腕を放し
俺はひと言詫びた。
「迎えに来てもいいだろ?」
セナは俺のしつこさに呆れたかどうだかわからないが
ぶっきらぼうに承諾した。
「ここに11時50分でお願いします。」
「わかった。ありがとう。」
俺の晴れやかな表情に冷たい一瞥を投げて
彼女は車を降りた。
コツコツという単調なヒールの音が俺の耳に心地よく響いた。
午前中をやり過ごし
時間通り迎えに行った。
昼飯は何にするかと
俺は密かに楽しみにしていたにも関わらず
セナは助手席に乗り込んでひと言。
「戻りましょう。」
出かかった反論を何とか飲み込み
俺は渋い顔でエンジンをかけた。
「体に毒だぞ。本当に昼は抜きか?」
セナはコホンと小さく咳払いをしてつけ足した。
「今日の借りは必ずお返しします。」
「どんな風に?」
「リクエストはランチでしたよね?」
「そうだけど、あといろいろあるし。」
「何ですか?あといろいろって?」
「つまり、いろいろだ。」
「とにかく、今はすぐ戻ってください。」
「了解。」
メアドを交換した。
セナはアドレスを増やしたくないとブツブツぼやいていたが
俺はあれこれ言いくるめてゲットした。
終業間際にセナからメールがきた。
残業だから明日以降またメールすると言ってきた。
その夜
約束のランチはどこにしようかと考えるだけで
俺は存分に時間をつぶせた。
翌朝早い時間に着信があった。
4時半?
こんな時間に起きているヤツの気が知れないと
画面を見たらセナだった。
狂ってるとしか思えない。
俺はベッドに沈んだままメールを開けた。
『昨日はありがとうございました。今日も残業確実なので昼抜きです。明日は大丈夫です。』
『了解。無理すんなよ。また明日メールを待つ。』
俺はアラームを確認して寝直した。
俺の声に彼女は顔を上げた。
「おはようございます。」
彼女は総務課のカウンターで書類待ちをしていた。
朝一に出来上がるのを受け取り
そのままセミナーへ出席しなければならないようだ。
場所は社外の多目的ビルだろう。
午後一にまた戻り
今朝見たデスクの山を残業してでも
何とか減らさなければ
明日もまた残業になってしまうとでも思い
憂鬱な面持ちだ。
「社外研修だろ?」
「はい。」
「そこまで送るよ。終わったら迎えに行くから昼飯に付き合え。」
「香取さん、あのですね。」
俺の強引な言い方が気に食わないのか反論してきた。
「いいから。」
「全然よくないです。」
「予定があるのか?」
「昼抜きで残業です。」
「あっそ。」
この俺、香取雄二の誘いを断るとは。
外為の聖女、長谷川セナ。
ガードが固すぎる。
「香取さん。」
意外にも呼ばれて
俺は聖女の顔を見下ろした。
「お言葉に甘えて、行きに送っていただけるならお願いいたします。」
行きだけか?
「帰りはどうする?」
「徒歩で戻ります。」
「それじゃ意味ないだろ。」
「私は助かります。」
「そういう問題か?」
聖女らしからぬ物言いに
俺は興味を持った。
「ギブアンドテイクという言葉を知らないのか?」
「私の辞書にギブはありません。」
言い切る辺りがすげぇな。
気に入った。
「わかった。送るよ。」
「ありがとうございます。」
聖女の前で俺はあっさり下僕に成り下がった。
今まではこんな展開にはならなかった。
俺が声をかけた女は誰でも必ず落ちた。
この聖女以外は全員だ。
これがどういうことなのか
まだ飲み込めていなかったが
彼女は俺の前をスタスタと歩き
それを追う形で俺は後に従った。
こんなのは有り得ないと気づく暇さえ
俺には与えられなかった。
セミナー会場があるビルの駐車場に着いた。
「香取さん。」
セナは俺を呼ぶことに慣れたようだ。
ツンとすまして俺を見た。
ふわふわとくせ毛が揺れるのを
眉を寄せて気にしていた。
「ありがとうございました。帰りは結構ですので。」
念押す辺りがクソ真面目だ。
「セナ。」
俺が呼び捨てすることにも慣れたようだ。
「何でしょうか?」
まるで何かを聞いたら
いや、会話をしたらいけないような口調だ。
「何でもない。」
助手席のドアを開けて出ていくセナを
俺はハンドルにもたれて眺めた。
「セナ。」
また呼ばれたことに嫌そうな表情で
片足を外に出したまま振り返り
俺をにらんだ。
「そんな風ににらむなよ。」
「にらんでません。」
「じゃ、もうちょっとゆるい目線で頼む。」
俺の言葉にセナは眉を吊り上げた。
「ゆるい目線ですって?」
やべぇ、怒らせたか?
「いや、今のはなかったことに。」
するとセナは目を大きく見開いた。
これは完璧にご立腹だ。
俺はゴクッとつばを飲み込んだ。
「香取さん。」
「はい。」
ここは素直に返事をしておくことにした。
「天然のたらしって本当ですか?」
聖女撤回だ。
俺ができる最低限の丁重な態度をやめた。
「そんなこと、誰に聞いたんだ?」
「自然に私の耳にも入ります。」
「じゃ、俺も言わせてもらうが。」
「何でしょうか?」
「聖女とは聞いて呆れる。」
セナはフンと鼻を鳴らした。
その態度に俺は完全に遠慮を捨てた。
「そんなんでいいのか?そんな風に男をあしらうことに意味があるのか?」
「何も知らないくせにわかったような口を聞かないで。」
俺は驚いて絶句した。
いきなり食って掛かる相手をまじまじと見ていたら
場の空気が白んだ。
「もう行きますから。」
そう言い捨ててセナは助手席から腰を浮かせた。
「セナ、待って。」
俺はとっさに彼女の腕をつかんだ。
「まだ何か言い足りないんですか?」
「悪かった。」
つかんでいた腕を放し
俺はひと言詫びた。
「迎えに来てもいいだろ?」
セナは俺のしつこさに呆れたかどうだかわからないが
ぶっきらぼうに承諾した。
「ここに11時50分でお願いします。」
「わかった。ありがとう。」
俺の晴れやかな表情に冷たい一瞥を投げて
彼女は車を降りた。
コツコツという単調なヒールの音が俺の耳に心地よく響いた。
午前中をやり過ごし
時間通り迎えに行った。
昼飯は何にするかと
俺は密かに楽しみにしていたにも関わらず
セナは助手席に乗り込んでひと言。
「戻りましょう。」
出かかった反論を何とか飲み込み
俺は渋い顔でエンジンをかけた。
「体に毒だぞ。本当に昼は抜きか?」
セナはコホンと小さく咳払いをしてつけ足した。
「今日の借りは必ずお返しします。」
「どんな風に?」
「リクエストはランチでしたよね?」
「そうだけど、あといろいろあるし。」
「何ですか?あといろいろって?」
「つまり、いろいろだ。」
「とにかく、今はすぐ戻ってください。」
「了解。」
メアドを交換した。
セナはアドレスを増やしたくないとブツブツぼやいていたが
俺はあれこれ言いくるめてゲットした。
終業間際にセナからメールがきた。
残業だから明日以降またメールすると言ってきた。
その夜
約束のランチはどこにしようかと考えるだけで
俺は存分に時間をつぶせた。
翌朝早い時間に着信があった。
4時半?
こんな時間に起きているヤツの気が知れないと
画面を見たらセナだった。
狂ってるとしか思えない。
俺はベッドに沈んだままメールを開けた。
『昨日はありがとうございました。今日も残業確実なので昼抜きです。明日は大丈夫です。』
『了解。無理すんなよ。また明日メールを待つ。』
俺はアラームを確認して寝直した。
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