うわさの神小牧さん
ピンポーン
いくらか音が歪んでいるドアチャイムを押す。反応がない。
「国重! おい! いないのか!」やはり反応がなかった。
「いったいどこいったんだ…」大輔は苛立ちでドアを強くこぶしで叩いていた。
「いってぇ~」手を抑えながら後ろを振り向くと、国重が立っていた。
「大輔か」
「おぉ、いって~よお前」そういうと「自分でやったんだろうが」そう言って国重が苦笑いをしたので、大輔も笑った。
「ちょっといいか?」大輔がそう言うと、国重は黙ってポケットから鍵を出して部屋に入った。
「悪いな、散らかってて」
国重の家には就職の内定が決まった後から研修が終わるまで、よく遊びに来ていた。
ざっくりした性格だと思っていたのに、部屋はひどく清潔で整理整頓が行き届いているのに大輔は驚いた。CDは年代別に並べられ、ジャケットの色別に薄い色から濃い色にグラデーションになっていた。小さな引き出しがたくさんあるチェストには綺麗にテプラで何が入っているか貼られていたし、食器棚の中は大きさ別にキチンと整理されていた。
「国重、几帳面な彼女でもいるのか?」大輔は真顔で聞いたものだった。
その綺麗に整理された部屋が、大輔が自分の部屋かと一瞬疑うくらいちらかっていた。
大輔は思わず息をのんでいた。
「コーヒー淹れるわ。テキトーに座ってて」
ちりひとつ落ちていなかった床には、雑誌、脱いだままの靴下や洋服、新聞紙があちこちに落ちていた。それでもまだ、自分の部屋よりかは整然と見えるのが大輔は不思議だった。
「あぁ」返事をしてテーブルの前にあった雑誌を少しどけて大輔は座った。
しばらくするとコーヒーメーカーのコポコポという音が聞こえてきて、コーヒーのいい香りが漂ってきた。
大きさの揃った柄違いのマグカップをひとつ、国重がテーブルに置いた。
自分のカップは手に持ったまま国重は大輔と同じ床ではなく、窓際のデスクの椅子に座って、そのまま窓の外を見つめた。
「聞きたいことがあったんだ」大輔はそう言って、マグカップのコーヒーを一口飲んだ。
コーヒーはいつも大輔が遊びに来ていたときに淹れてくれたときのまま、苦味の中に丸いまろやかな味がした。
「そう思ってたけど…もう、いいや」大輔はわかった気がした。
さっき神小牧さんが大輔を信じてくれたように、大輔も国重を信じられると。
国重はぜったい神小牧さんの写真を撮ったりはしていない。しかもそれを会社のネットに載せるなんて卑怯なまねをする奴ではない。
「大輔…」窓の外を見ていた国重が大輔のほうを見た。
「俺…会社辞めようと思うんだ」
「それで今日、会社休んだのか? いったい何があったんだ」
国重は教育係でコンビをくんでいる尾崎に執拗に嫌がらせをうけていたらしい。柳沼さんがうわさで聞いた得意先での失敗は、本当は尾崎のミスだった。それを国重のせいにされた。
「どうして上司に言わないんだよ! 尾崎よりも上の人がいるだろ?」大輔が、立ち上がって国重の肩を掴んだ。
「だめなんだ。尾崎は上司のうけがよくて…俺の言うことなんか聞いちゃくれなかった」
本当に悔しそうに唇を噛んだ。
「なんだよ! なんで一言相談してくれなかったんだよ」大輔はそこが一番、気になっていた。疑ってしまった理由のひとつはそこにあった。そう詰め寄る大輔に国重は意外な言葉を言った。
「お前になんか言えるかよ。上司にも先輩にも恵まれてた。そんなお前が羨ましくて…妬ましかったんだ」悔しそうに唇を噛む国重に、大輔はなんて声をかけていいかわからなかった。
「はっ、こんなの八つ当たりだよな」国重が軽く息を吐いて、自嘲気味に笑った。
その顔を見て、大輔は無性に腹がたった。
「ばかやろう! 俺に言わないでいったい誰に言うっていうんだよ? 俺に八つ当たりしてこいよ! 内定もらった時に言ったよな? ただの仲良しこよしの同期にだけはなるのはやめようって」
大輔は思い出していた。それは国重の言葉だった。
「辛くてもお互いに簡単に助け合うような甘ったれた関係はやめよう。でも、本当に大輔がしんどい時。そのときは何があったって全力で支えてやる。応援してやるって」
その言葉でやっと国重は大輔の顔をまっすぐに見た。
「俺だってそう思ってんだぞ。俺になんで頼ってくれないんだよ」
「大輔…」
国重の顔がみるみる歪んで、目には涙が溢れ出した。
「悔しい…俺、悔しいよ…大輔」
肩を震わせている国重の肩を強く抱きながら、大輔はある可能性を思いついて、それが確信へと変わっていくのを感じていた。