夜明けのエトセトラ
 間違いなければ、この後は……。

「おい、蘭子」

 ニヤニヤされて思いきり睨む。

「下の名前で呼ぶなって、何度言えば気が済む」

「蘭子なんだから仕方がない」

 親を怨む訳にもいかないが、6男1女で嬉しかったとは言え……やたらに女性らしい、この時代錯誤な名前はどうかと思う。

 柏木蘭子。

 ……名前だけを見て、清楚可憐なお嬢様を思い浮かべる人が多い。そして、実際に実物を見て、ガッカリされる事もたまにある。

 柏木……としか知らない人間は、名前が蘭子だと知ると吹き出す。

 それもかなり失礼千万なんだけどさ……。

「明日休日出勤するのと、今日中に上げて営業に託すのと……お前はどっちがいい?」

 佐伯は淡々と呟いて、首を傾げる。

 どっち……どっちって……。

「どっちも嫌だな」

「それを言っちゃ身も蓋も無いだろうが」

「どっちも疲れる」

「俺だって疲れる」

 言い合って、お互いに溜め息をついた。

「まぁ、先に上げちゃった方が楽じゃないの? そもそも、もう休日の夜中は潰れてる訳だし」

「ん~。だろうな~」

「それとも何? 辛いくらい疲れた?」

 ニヤリとすると、佐伯の眉が上がる。

「何だよ?」

「いや、年には勝てないんだなぁ……と」

 からかうように呟くと、佐伯の目がスッと細められて、奴の地雷を踏んだ事に気がついた。

「あ、いや……あの?」

 無言で身を起こし、どんどん近づいて来るので、あたしもジリジリと後ろに下がる。

 だけど、給湯室の広さなんてしれたもので、シンクにぶつかって冷や汗をかく。

 佐伯は本気で怒ると無言になるから。

 ……これって、ある意味で〝背水の陣〟なんじゃないか? 思った時、シンクに佐伯の両手が置かれた。

 あたしを挟む様に。

「……試そうか?」

 耳元で囁かれた呟きに、『何を?』……なんて聞く程、初じゃない。

 だけど、こんな場所では困る。

 困るけど……

 佐伯の指先が顎にかけられ、一瞬だけ、ちょっと真剣な目が見えて……。
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