白衣とエプロン 恋は診療時間外に
膝を抱えたまま、わくわく、どきどき。

やや緊張しながら、演奏が始まるのをじっと待つ。

「千佳さんが緊張してどうするのさ」

「うぅ、だって……」

「どうか気楽にきいてくださいな」

彼はちょっとはにかんだように微笑んで、それからおもむろに静かな表情で弓を構えた。

窓から差しこむ爽やかな日の光と、穏やかな静けさ。

彼の奏でる澄んだ音色が、この空間の隅々まで、すべてを音楽で満たしてゆく。

その細く長い指が、繊細に、或いは力強く弦に触れて。

弦を弾く弓が伸びやかに、細やかに、ときには大胆に動きながら、表情豊かな音を紡ぐ。

どこか懐かしく温かみのあるメロディーは、儚くも美しく、切なくも優しくて。

その響きは私を甘やかにつつみこみ、ひたむきに奏でるその姿は、夢心地にさせ圧倒的に魅了した。

(心を奪われるって、きっとこういう感覚なんだ……)

一瞬で心をまるごと持っていかれたような、そんな衝撃。

弦をおさえる長い指も、伏し目がちな表情も、楽器の声に耳を澄ますように寄り添う仕草も、どれもが美しくて――どうしようもなく、色っぽい。

蠱惑的で、煽情的で、官能的。

素敵な演奏が琴線に触れたのは本当。

でも、この全身に走る甘い痺れは、もっと――別の情動を司る糸に触れたせい。

触れたというより、むしろ――ぴんと強く弾かれたような。

森の小さなお友達の不埒な心内など知る由もなく、彼が涼やかな表情で演奏する。

(一瞬だけこちらを見た気がしたけど、気のせい……???)

彼がストイックに集中するほど、甘い痺れがいっそう私を支配する。

目を伏せた表情も、器用に動く繊細な指先も、どこか艶やかさのある深い音色も、どれもが私を虜にして離さない。

私は身じろぎもせず、ただもう彼を見つめながら、その甘美な響きを全身で感じることに集中した。

名残惜しくも曲が終わると、私はやや放心状態で……とにかく夢中になって拍手した。

「すごい!本当にほんとうに、とってもとっても素敵でしたっ」

このときは“立ち上がって拍手を贈る”ということまで気が回らなくて……。

私は言い知れぬ高揚感で彼を見上げながら、ただただ拍手を贈った。

けれども、彼の表情は――。

「ええと……」

(なんだろう? 照れているとも違う、ちょっと困っているような?)

「まずは、ありがとう」

「いえ、こちらこそ」

「それから、ごめん」

「え?」

「黙っているのは卑怯だと思うので言うけれど」

「はい?」

「見えてる」

「へ?」

「パンツが」

「……ええっ!?」

慌てて確かめると、言う通り。

しっかりと押さえて上手に座っていたはずが、スカートの布地がすっかり垂れ下がっている始末。

(うわわわっ、これっていつから!? 拍手したとき???)

私は横座りをして、思い切り目を逸らした。

「み、見なかったことにして下さい……」

「そんなこと言われても」

彼は「やれやれ」という口調でそう言うと、いったん立ち上がり、それから丁寧に床の上にチェロを置いた。

(あ、そういう置き方するんだ)

壁に立てかけるでもなく、仰向けに寝かせるでもなく、まるで人が寝そべるように横置きされて、ちょっと意外で驚いた。

「……で、いつから見えてたんですか?」

「まあ、途中から?」

彼は私の隣へやって来ると、壁を背にして足を伸ばして座った。

「一瞬顔を上げたら、“あっ”という感じで」

途中で一瞬こちらを見た気がしたのは、気のせいではなかったらしい。

(そんな、けっこう前からパンツ丸見えだったなんて……恥ずかしすぎる)

「いったん止めて教えてあげるべきかとも思ったのだけど。でも、途中まで弾けていたから、このまま弾き切りたいという気持ちもあってだね、うん」

「なるほど」

「だけどほら、僕、弾いている間は見ていなかったよね?」

「それは、まあ」

「こう言ってはなんだけど、僕だってさすがに困惑したのだよ。“あーこれ、何か試されているの?”とか。“神様どーいうつもり?”とか」

「はぁ」

「演奏中に頭の中で音符とパンツが混在するとか、フツー無いから」

(音符とパンツが、頭の中で混在……)

反芻すると、なんとも言えないおかしさがこみあげてきて、思わずくつくつ笑ってしまう。

だって、私がちょっと不純な感動の仕方で(?)ゾクゾクしてメロメロになっていた頃、あろうことか、彼がパンチラの誘惑にさいなまれていたなんて。

「なんか、すみません……」

謝りながらも、笑いが止まらない。

「笑っているけどさ、けっこうな生殺しだったんだから」

「そんな、それを言ったら私だって……」
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