白衣とエプロン 恋は診療時間外に
貴公子の孤独
とある土曜日。

「今日はやっぱりちょっと患者さん少なめね」

先生方に聞こえないように、唐木さんが耳打ちする。

土曜はいつも午前も午後も混み合うことが多いのだけど、今日は比較的落ち着いている。

理由は簡単。

「麗華先生を希望される患者さん多いですもんね」

小声で返す私に唐木さんは「ねー」と言って、先生方をちら見した。

通常土曜日の担当は“若狭先生(麗華先生のこと)・保坂先生”なのだけど、今週はちょっと変則的になっていて。

土曜日にはめずらしく、午前午後とも“貴志先生・桑野先生”が当番になっている。

急な担当変更が発生することもあるけれど、通常は遅くとも月末には確定をして翌月の担当医表に反映される。

今日の当番もあらかじめ決まっていたことで、担当医の希望がある患者さんの中には、来院日をずらす人もいたのだろう。

「麗華先生だけじゃなく保坂先生までいないんじゃあねえ」

「土曜日しか来られない患者さんは大変ですね」

やれやれと肩を竦める唐木さんに、答えに困って曖昧にかえす。

ぶっちゃけ、唐木さんは桑野先生にとても厳しい。

麗華先生はそれを“愛の鞭”と呼び、ビシビシ鍛えてやって欲しいと言っている。

けれども、桑野先生としてはおもしろくないこともあるようで。

唐木さんがいないときに、他のスタッフに「ナースのくせに」みたいに愚痴って、それをうっかり麗華先生に聞かれて、こっぴどく叱れたことがあったとか。

実際、桑野先生は唐木さんにフォローしてもらっている部分が多く、まったくバチあたりもいいところという話。

では、貴志先生に対する評価はというと――。

「貴志先生は、ほんっとうに女性の患者さんのあしらいがお上手ねぇ」

以前に唐木さんはこんなことを言っていた。

「あの人、女性の顔と名前はすぐにインプットできるのね。さらに、エピソード記憶がすごいのよ」

唐木さんに言われるまで、私は正直そこまで気にしたことがなかったのだけれど。

それから何度か自分が補助に入るときに、貴志先生の診察の様子を少し注意深く気にしてみると、まったく唐木さんの言うとおり。

「ネコちゃんはお元気?」とか「相変わらず旦那さんは釣り三昧ですか?」とか「たしか月初が繁忙ですよね?」とか。

患者さんが話した小さなエピソードをそれはそれはよく覚えていること。

ただし、女性の患者さんに限る、のだけれど。

唐木さんはそれを“売れっ子ホストの技法”なんて言っていたっけ。

話を聞いてもらえるだけでも嬉しいのに、それを覚えていてくれるなんて、と。

まるで自分が特別気にかけてもらえているような錯覚に陥って、ついつい贔屓にするようになる。

貴志先生の頭の中には、患者さん情報というか、顧客情報がいっぱい詰まっているわけである。

ただし、対象は女性に限る、けれど……。

午前の診療は滞りなく終わり、皆が時間どおりに昼休憩に入ることができた。

私は外で昼食をとって戻り、ロッカー室に荷物を置きたくてスタッフルームに入ろうとした、のだけど――。

「うそでしょ!? これが保坂先生!?」

中から聞こえたのは、あからさまに驚いた様子の福山さんの声だった。

(何!? 何の話???)

ドアの前に立ったまま、思わずじっと聞き耳を立てる。

「この写真、別人じゃん! しかも、このプロフィール!」

(なんだろう? 何かの記事(?)を読んでいる???)

いずれにしても、彼の話をしているのは間違いない。

「K大医学部出身!? 両親が医師だったこともあり、自然と医師を志すようになりました、だって!」

こんなかたちで彼の学歴を始めて知った件。

「趣味はチェロだってさ! ちょっとどういうこと!?」

どういうことも何も……チェロ、とってもお上手ですが。

「あー、貴志先生は地方国立大かぁ。んー」

いったい、スタッフルームのこの盛り上がりは何なんだろう?

(なんか、入りにくい……)

どうしたものかと、考えあぐねていると――。

「地方国立大で悪かったね」

(ひぃぃぃっ!?)

いつの間にか、貴志先生が私の真後ろに立っていた。
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