白衣とエプロン 恋は診療時間外に
微笑んでいるようでいで、目は笑っていないような。
貴志先生らしい笑顔に怯みそうになりながら、心の中で「冷静に、冷静に」と自身に言い聞かせる。
もちろん、本当は気にならないわけがない。
桑野先生が昨日見たという、明らかに私ではないその女性が誰なのか。
それでもやっぱり、彼と私の問題だもの。
桑野先生から聞くことでも、貴志先生から聞くべき話でもないから。
「私は自分の目で見たことしか信じません」
「それ、ボクもまったく同意だね」
「え???」
思いがけない反応に、あからさまに狼狽える。
そんな表情を貴志先生が見逃すはずもなく。
「あれー? 意外だった?」
「そ、それは」
貴志先生はその美しい顔に意地悪な笑みを浮かべた。
「ボクも見たんだよ、保坂センセイが女の人と一緒のところ」
「えっ」
「特徴からすると桑野センセイが見たという女性と同じ人だろうね。けっこう親密な感じだった。まあ、ボクが見たのは昨日じゃなくて、先週の話だけど」
(そんな、貴志先生まで。しかも、先週の話だなんて)
自分の目で見たことしか信じないのに。
信じない、はずなのに……。
心はざわめき、不安と困惑で揺らいでいた。
「ほーら、だから言わんこっちゃない」
貴志先生は呆れた顔で溜息をつきながら、諭すように話を続けた。
「医者はモテるんだって、ボクは忠告してやったでしょうが」
貴志先生は、その場面を目撃したうえで私に忠告していた、と……。
「キミ、保坂センセイと話してないわけ?」
「そんなことないです。話しましたよ、全部」
「全部?」
「福山さんの発注ミスのこととか、貴志先生にバカ呼ばわりされたこととか、全部……」
「キミねぇ」
貴志先生はますます呆れた様子で盛大に溜息をついた。
「あのさ、やっぱりホントにバカなの?」
「はい?」
「せっかくボクがありがたーいアドバイスをしてあげたのに、確認も念押しもしなかったわけ?」
(確認? 念押し?? いったい何の???)
真剣に「はて?」と首を傾げる私に、貴志先生がドン引きする。
「キミの恋愛偏差値どうなってんの?」
「どうと、言われましても……」
「本当に他に女がいないのか、自分だけなのか、カマかけろとまで言わないけど、ちょっと相手に揺さぶりをかけるくらいするもんでしょうよ? それとも何? 自分に絶対的な自信があるの?」
呆れるを通り越して、完全にもう哀れみのお眼の貴志先生。
「そんな、自分に自信なんてないです。でも……」
さすがにちょっと弱気になりながらも、私は懸命に答えた。
「なんていうかその、関係性には自信があるというか」
恋愛に限らず、物事には“絶対”なんてあり得ない。
あるとしたら、生き物はみんな致死率100%ということくらい?
そんなことは私だって知っている。
でも、それでもなんでも信じているから、信じたいから。
彼は決して不誠実なことをする人ではない。
私たちは心を尽くし、言葉を尽くし、思いやれる関係なのだと。
「キミってさ」
「バカでいいですよ。もう聞き飽きましたけど」
「かわいいね」
「……はい?」
(そうやってまた、ふざけたことを言ってからかって……)
私がうんざりしながら顔を上げると――。
(えっ……)
貴志先生が思い切り優しい眼差しでこちらを見ていた。
おそらく今まで見たことのない、貴志先生の熱っぽい眼差しに思わず戸惑い目が泳ぐ。
(な、何これ!? わけがわからないんですけど……)
「まあ、バカな子ほどかわいいって言うから」
「で、ですからもう」
「保坂センセイも、キミのそういうところがかわいくて仕方がないのかな」
自分が今どんな顔をしているのか、この状況ではどんな顔をするべきなのか。
どちらもわからず困惑していると、ちょうどよいタイミングで店員さんが料理を運んできてくれた。
「とりあえず、ご飯食べて元気出しなよ」
貴志先生は自分のお膳のミニデザートの小鉢を私にひょいと気前よくよこした。
「先生が優しいのか意地悪なのかよくわかりません……」
「ボクはすべての女性に優しい貴公子だよ」
「本当の貴公子は自分で貴公子だなんて言わないのでは?」
憎まれ口をたたきながらも、あながち間違っていない気もした。
福山さんへの接し方にしても、私に対する接し方にしても。
「男はみんなバカなんだから。同時にふたりの女を幸せにしたいなんて野望を持ったり、それができるような錯覚に陥ったりもする。保坂センセイも男だってことわかってる?」
きっと、男も女もひとりの人しか幸せにできないというのが真実に違いない。
そして、貴志先生はよくよくそれをわかっている人のような気がした。
先生が二股三股をかけるときは、そもそも誰かを幸せにしたいとも、できるとも思っていないのだろう。
自分を頼りに縋る女性がいても、同情をかけない冷たい優しさを持ち合わせているのだろう。
「保坂センセイに捨てられたらボクのところへおいで」
「心にもないことを」
淀みなく言いながらも、ほんのわずかだけれど心にさざ波が立っていた。
目の前にいる貴志先生が、飾り気のない本当の貴志先生のような気がして。
「ありませんよ、私が貴志先生を選ぶことは」
私は自分なりの誠実を貫いた。
貴志先生はやれやれと肩を竦めて苦笑いしたきり、何も言わなかった。
(今夜きちんと、彼と話をしよう)
怖くても逃げたりしない。
まっすぐに言葉を尽くし、心を尽くす、それしかないから。
貴志先生らしい笑顔に怯みそうになりながら、心の中で「冷静に、冷静に」と自身に言い聞かせる。
もちろん、本当は気にならないわけがない。
桑野先生が昨日見たという、明らかに私ではないその女性が誰なのか。
それでもやっぱり、彼と私の問題だもの。
桑野先生から聞くことでも、貴志先生から聞くべき話でもないから。
「私は自分の目で見たことしか信じません」
「それ、ボクもまったく同意だね」
「え???」
思いがけない反応に、あからさまに狼狽える。
そんな表情を貴志先生が見逃すはずもなく。
「あれー? 意外だった?」
「そ、それは」
貴志先生はその美しい顔に意地悪な笑みを浮かべた。
「ボクも見たんだよ、保坂センセイが女の人と一緒のところ」
「えっ」
「特徴からすると桑野センセイが見たという女性と同じ人だろうね。けっこう親密な感じだった。まあ、ボクが見たのは昨日じゃなくて、先週の話だけど」
(そんな、貴志先生まで。しかも、先週の話だなんて)
自分の目で見たことしか信じないのに。
信じない、はずなのに……。
心はざわめき、不安と困惑で揺らいでいた。
「ほーら、だから言わんこっちゃない」
貴志先生は呆れた顔で溜息をつきながら、諭すように話を続けた。
「医者はモテるんだって、ボクは忠告してやったでしょうが」
貴志先生は、その場面を目撃したうえで私に忠告していた、と……。
「キミ、保坂センセイと話してないわけ?」
「そんなことないです。話しましたよ、全部」
「全部?」
「福山さんの発注ミスのこととか、貴志先生にバカ呼ばわりされたこととか、全部……」
「キミねぇ」
貴志先生はますます呆れた様子で盛大に溜息をついた。
「あのさ、やっぱりホントにバカなの?」
「はい?」
「せっかくボクがありがたーいアドバイスをしてあげたのに、確認も念押しもしなかったわけ?」
(確認? 念押し?? いったい何の???)
真剣に「はて?」と首を傾げる私に、貴志先生がドン引きする。
「キミの恋愛偏差値どうなってんの?」
「どうと、言われましても……」
「本当に他に女がいないのか、自分だけなのか、カマかけろとまで言わないけど、ちょっと相手に揺さぶりをかけるくらいするもんでしょうよ? それとも何? 自分に絶対的な自信があるの?」
呆れるを通り越して、完全にもう哀れみのお眼の貴志先生。
「そんな、自分に自信なんてないです。でも……」
さすがにちょっと弱気になりながらも、私は懸命に答えた。
「なんていうかその、関係性には自信があるというか」
恋愛に限らず、物事には“絶対”なんてあり得ない。
あるとしたら、生き物はみんな致死率100%ということくらい?
そんなことは私だって知っている。
でも、それでもなんでも信じているから、信じたいから。
彼は決して不誠実なことをする人ではない。
私たちは心を尽くし、言葉を尽くし、思いやれる関係なのだと。
「キミってさ」
「バカでいいですよ。もう聞き飽きましたけど」
「かわいいね」
「……はい?」
(そうやってまた、ふざけたことを言ってからかって……)
私がうんざりしながら顔を上げると――。
(えっ……)
貴志先生が思い切り優しい眼差しでこちらを見ていた。
おそらく今まで見たことのない、貴志先生の熱っぽい眼差しに思わず戸惑い目が泳ぐ。
(な、何これ!? わけがわからないんですけど……)
「まあ、バカな子ほどかわいいって言うから」
「で、ですからもう」
「保坂センセイも、キミのそういうところがかわいくて仕方がないのかな」
自分が今どんな顔をしているのか、この状況ではどんな顔をするべきなのか。
どちらもわからず困惑していると、ちょうどよいタイミングで店員さんが料理を運んできてくれた。
「とりあえず、ご飯食べて元気出しなよ」
貴志先生は自分のお膳のミニデザートの小鉢を私にひょいと気前よくよこした。
「先生が優しいのか意地悪なのかよくわかりません……」
「ボクはすべての女性に優しい貴公子だよ」
「本当の貴公子は自分で貴公子だなんて言わないのでは?」
憎まれ口をたたきながらも、あながち間違っていない気もした。
福山さんへの接し方にしても、私に対する接し方にしても。
「男はみんなバカなんだから。同時にふたりの女を幸せにしたいなんて野望を持ったり、それができるような錯覚に陥ったりもする。保坂センセイも男だってことわかってる?」
きっと、男も女もひとりの人しか幸せにできないというのが真実に違いない。
そして、貴志先生はよくよくそれをわかっている人のような気がした。
先生が二股三股をかけるときは、そもそも誰かを幸せにしたいとも、できるとも思っていないのだろう。
自分を頼りに縋る女性がいても、同情をかけない冷たい優しさを持ち合わせているのだろう。
「保坂センセイに捨てられたらボクのところへおいで」
「心にもないことを」
淀みなく言いながらも、ほんのわずかだけれど心にさざ波が立っていた。
目の前にいる貴志先生が、飾り気のない本当の貴志先生のような気がして。
「ありませんよ、私が貴志先生を選ぶことは」
私は自分なりの誠実を貫いた。
貴志先生はやれやれと肩を竦めて苦笑いしたきり、何も言わなかった。
(今夜きちんと、彼と話をしよう)
怖くても逃げたりしない。
まっすぐに言葉を尽くし、心を尽くす、それしかないから。