明日へ馳せる思い出のカケラ
 今現在俺はそのハーフの距離を過ぎて、経験したことの無い未知の領域に足を踏み入れている。
 こうならない為にも、もっと自重して然るべきだったんだ。でも俺は人を追い越す爽快感に酔いしれ、それを完全に無視してしまった。疲れないわけがないんだよ。

「ポツッ」

 少し雨が降って来た。
 いつかは降り始めるんじゃないかって予想はしていたけど、まさかこんな時に降って来るとは思わなかった。やっぱり俺は天気に嫌われているんだろうか。それとも【運命】っていう神様が、前向きに走り出した俺を冷たくあしらっているとでも言うのだろうか。

「クソっ、冗談じゃないぜ。こんな所で諦めて(たま)るかよ!」

 俺は懸命に歯を喰いしばって走ろうと試みる。でも重く感じる足がそれを拒否してしまうんだ。
 いや、足だけじゃない。腕も腰も俺の意思に反して言う事を利いてくれないんだよ。それどころか、体全体からはきしむ悲鳴が轟いてくる。
 肺は息をする度に、神経を逆なでするかの様な痺れを感じさせるほどだ。

 俺は不甲斐ない自分を呪うと共に、フルマラソンの過酷さをここに来て初めて痛感するしかなかった。

 鉛の様に重く感じる両足。かつてこんなにも自分の足を重く感じた事があっただろうか。
 俺は陸上に明け暮れた学生時代の記憶を辿る。しかしその中に今と同等な印象は思い出せない。それほどまでに現状は窮地に立たされているって事なのか。

 俺はそう驚くほどの辛さを感じずにはいられなかった。
 だけどそれにも増して俺が厳しさを覚えたのは、その足から伝わる激痛だったんだよね。

 運動不足だった体に鞭を打って強引に臨んだ今回のマラソン。それゆえに体は疲弊しきっていたと言わざるを得ないんだよね。
 正直なところ、数日前から走る度にヒザの違和感を感じていたんだ。それに足の裏にはいくつかマメも出来ていたからね。
 もしかしたら靴の中でそれらのマメが潰れているのかも知れない。そう信じてしまうくらいに、俺の足は耐え難い激痛を発していたんだよ。

「やっぱり無理なのか。俺にはこんな些細な目標すら達成出来ないのか……」

 俺の胸の中に絶望感が溢れて来る。
 たったの3ヶ月間だったけど、でも今持てる力を全力で出し切って努力してきたじゃないか。
 もうみじめな過去に戻りたくない。そう心に誓ったはずじゃないのか。
 君との思い出を払拭し、新しい未来を手に入れるんじゃなかったのか。

 強い決意で臨んだマラソンであるはずなのに、俺は現実として足から伝わる激痛に心を萎えさせてしまった。耐え難い苦痛に気持ちが折れそうになってしまったんだ。
 やっぱり俺には諦める事しか出来ないのだろうかって。俺には悔いる事しか出来ないのかってね。

 でもその時だった。
 俺の耳に聞こえて来たのは、折れそうになった心を柔和に包み込む、そんな有り得ない衝撃だったんだ――。
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