明日へ馳せる思い出のカケラ
 まずは気道を確保するために、彼のアゴを少し持ち上げる。
 そして鼻を指で摘むと、俺は躊躇する事なく彼の口に自分の口を重ね合わせた。

 そのままの姿勢を取りながら、ゆっくりと息を吹き込んでいく。
 するとそれに反応し、彼の厚い胸板が膨らんだ。

 よし! 人工呼吸の方法に間違いはない。
 そう確信した俺は、摘んでいた彼の鼻から一旦指を外し、その反応をうかがってみる。
 しかし変化は見られない。

「一度くらいじゃダメに決まってる!」

 俺は自分を納得させる為に、そう心の中で叫んだ。
 隙を見せれば瞬く間に心は折れてしまうだろう。だから俺は懸命に自分を奮い立たせようとしたんだ。

 そしてもう一度、彼の口に息を吹き込む。
 人工呼吸は2度息を吹き込むのが1セットだからね。俺は迅速に人命救助を遂行する事で、後ろ向きな気持ちが浮かばないよう無理やり努めたんだ。

 それでも彼の意識は戻らない。
 ならば次は心臓マッサージをするまでだ。
 俺はゼッケンの付けられたシャツの上から彼の体を摩り、みぞおちの窪みを探し出す。
 そしてその位置を把握すると、今度はそこに右手の中指を置き、すぐその隣に人差し指を添えた。

「この場所で間違いないはずだ。いくぞ!」

 俺は腕を一直線に伸ばした姿勢を取ると、彼の胸に置いた自分の手の平に力を込める。でもその時、

「!?」

 ふいに温かい感触が俺の肩に伝わる。
 でもそれはとても優しくて、そしてどこか懐かしい。
 そんな不思議な感覚に俺はふと振り返った。

 するとそこには、俺の肩にそっと手を添える君の姿があったんだ。

 張り詰めた緊張感が和らいでいく。
 背負っていた重い荷物を降ろした様な、そんな軽やかな感覚。
 恐らく俺は意図せずにしてリキみ上がっていたんだろう。彼を救いたいと思うがあまり、気持ちばかりが早まっていたんだろう。

 でももう大丈夫。君のお蔭で落ち着きを取り戻せたから。

 俺は一度だけ深呼吸をする。そして君の目を見つめながら黙って頷いた。
 そんな俺に君も頷き返す。真っ直ぐに俺の目つめ返しながら。

「1、2、3……」

 大きめな声を張り上げて、俺はテンポ良く彼の胸を押していく。
 早く戻って来てくれ。俺は心からそう祈りつつ、彼の胸を押し続けた。

 だがここに来て急激に体が重くなる。
 どうしてだ。腕が鉛の様に重い。
 強い張りを感じる背中に至っては、今にもつってしまいそうなほどだ。
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