明日へ馳せる思い出のカケラ
 スタンドに繋がる階段脇の人目の付かない場所で君が俺を出迎える。ただその表情は、してやったりといった満足げな軽い微笑みを浮かべていた。だから俺は開口一番君に伝えたんだ。

「なかなか良い選曲だったよ。お蔭でやる気ゼロだけどね」ってさ。

 それに対して君は鋭い目つきで俺を睨んだんだ。『なによ、それじゃ私が悪い事したみたいじゃない』って言いたげにね。
 でもその通りなんだから謝りはしないよ。むしろ説教をしたいくらいさ。それなのに君の反撃は厳しかったんだ。

 予想外に突き出された君の拳が俺の腹に捻じ込まれる。君にとっては冗談のつもりだったんだろうけど、その拳にはそこそこの力が込められていた。
 それに輪を掛けて俺の腹は脱力感で気が抜けていたんだ。そんな君の不意な攻撃に為す術無く、俺は無残にも撃沈してしまったんだよね。

「ゲホゲホッ……」

 俺はむせ返りながら体を丸めた。そしてゆっくりとヒザを付きその場に沈み込んだんだ。
 うまく息が出来ない。あまりの苦しさに死んでしまいそうだ。
 よくマンガなどでは人の体には無数の急所があり、些細な力であってもそこを突けば大きなダメージを与える事が出来るなんて描いてあった気がする。もしかしたら君の一撃が、俺のそんな急所に命中してしまったのか?

 亀の様に背中を丸めながら、俺は冷たい通路に額を擦り付けて痛みを堪えた。
 ただ一向に痛みが引く気配が無い。生まれてこの方感じたことの無い耐え難い鈍痛に戦慄を覚える。
 どうなってしまったんだ、俺の体は。これじゃ1万メートルどころか、もっと遠い世界に行ってしまうぞ。

 生温い唾を口から垂らしつつも、俺は懸命に君にすがろうと腕を伸ばした。
 すぐ隣の階段からは多くの人の行き交う気配が感じられる。でもここは階段からは見えづらい、少し奥まった場所なんだ。
 自分から助けを呼びに行かなければ気付いてもらえそうにない。まさに完全な死角空間と呼べる場所なんだよね。だから俺は君に早く助けを呼んでくれと促そうとしたんだ。

 ただその時俺はふと思った。このままこの冷たく暗い競技場の片隅で、みじめに死んで行ってもいいかなってさ。
 だって今なら君に包まれながら、その温もりを感じながら死ねるんだからね。

 ただそこで君は尋常でない痛みに苦しむ俺に血相を変えて肩を寄せた。

「嘘でしょ! ねぇどうしたの、しっかりしてよ!」って、泣きそうな顔で俺の背中に抱きついたんだ。

 俺はそんな君から伝わる温かさに心をゆだねて妄想してたんだよ。俺がここで本当に死んでしまったら、君はこの先どうするのかなってね。

 それを知りたくなった俺は、すがる様に掴んだ君の腕に力を込めて顔を持ち上げた。そして汗ばんだ顔を君に差し向けて、はっきりとこう伝えたんだ。
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