明日へ馳せる思い出のカケラ
 突発したアクシデントに観客スタンドから叫喚が上がる。
 またインフィールドで競技中だったハンマー投げの選手達からも響めきが起きていた。

 これほどの集団が転倒する事態なんて、誰がどう見ても異常事態としか言い様がないからね。

 折り重なって倒れ込む選手達。前衛に詰めていた選手のほぼ全員が転倒したと言ってもいいだろう。それもかなり激しく倒れた者がほとんどだ。

 あちこちから悲痛なうめき声が聞こえて来る。どうやら出血している者までいるみたいだ。

 それらの選手は傷口を懸命に抑え、苦痛に表情を歪ませている。それにまだ幾段にも重なって倒れている選手達の中には、もっと重大なケガを被った者がいるかも知れない。

 俺は集団の最後尾にいただけに、その被害に巻き込まれはしなかった。でも目の前に広がる大参事に気持ちが怯んでしまい、足が止まってしまったんだ。

 ただその時俺の頭に浮かんだのは、レースの中断という二文字だったんだよね。
 だってもうこれじゃレースになんてならないし、これだけ負傷者が出れば続行不能は当然の判断だろうと信じて疑わなかったんだ。

 ハンマー投げの選手達が急ぎ救助に駆けつけて来る。
 彼らは事態の重大さを即座に嗅ぎ付け、自分達の競技を放って救済に向かい出したんだ。誰に指示されたという訳でもなくね。

 そしてそんな彼らの迅速な行動にハッとした俺も、倒れうずくまる選手の救護に足を向けた。
 でもその時、俺は視界に映る一人の選手の姿に愕然としてしまう。だってそれは敬意の対象でもあった、あのキャプテンの彼の傷ついた姿だったから。

 彼はグッと歯を喰いしばりながら右の足首を抑え苦痛に悶えていた。
 その様相からして、かなりの激痛に苛まれているんだろう。俺はそんな彼を救助するため、間近に駆け寄り声を掛けようとした。

 しかし彼は自分に起きた災難を少しもかえりみず、近寄る俺に向かって強く叫んだんだ。

「早く走れバカ野郎っ! 審判はレースを中断してないんだ。俺なんかに構わないでお前は走れ!」って。

 この状況で何言ってんだよ。どう考えたって、こんなんじゃレースなんて続けられるわけないじゃないか――。
 そう思った俺は、寄り合って話をしている審判員達に視線を向けた。

 だけどそれらの姿に俺は唖然としてしまったんだ。だって審判員の彼らはただオロオロするばかりで、現状を何一つ正確に受け止めようとはしなかったんだ。

 冗談じゃないぞ。大の大人が揃いも揃って何を取り乱してんだ。ハンマー投げの学生達のほうが、よっぽど冷静で適切な対応をしているじゃないか。

 会場中が期せずして発生したアクシデントに騒然とする中で、渦中の責任者である審判員達だけが完全に状況に飲まれきっている。
 いや、それとも競技をとどこおりなく進行したいと願う、彼らのクソ真面目な本意だとでも言うのか。それにしたってもう少し臨機応変な対応が出来ても良いモンだろうに。

 ただそんな緊迫した変事の中で、冷淡にも競技を続行する選手が現れはじめる。
 俺と同じで事故に巻き込まれなかった者や軽症で済んだ者が、一人また一人と駆け出したんだ。
 まるでキャプテンの彼が叫んだ激励に促される様にしてね。

 そしてその中にはあのアフリカからの留学生である、漆黒の彼の姿も含まれていたんだ。

 嘘だろ。負傷した彼らを見捨ててこのままレースを続けるなんて、人としてどうかしている。俺には到底無理な行為だ。
 そう思った俺は、先に進めと急き立てるキャプテンに反抗して救助を続けようと試みた。けどその時キャプテンの彼は、俺の背中を強く突き飛ばして命令したんだ。

「お前がここまで頑張った努力を無駄にするな!」ってさ。
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