明日へ馳せる思い出のカケラ
 強風の吹きつける最悪なコンディションが、レース全体のスピードを上げられない障害にでもなっているのだろうか。
 いや、それだけなら尚更俺なんて置いてきぼりを喰うはずだ。それなのに、なぜかまだ先頭集団の足音は後方に近寄って来ない。でも待てよ。それってもしかして、俺はレースを戦えているって事なのか?

 意味は分からないが、それが現時点で俺が考えた結果だった。そして少しだけ冷静さを取り戻した俺は、さらにもう一つ気付く事に成功する。

 唯一俺を抜き去った強豪校の彼。その走り方が目を見張るほどの鮮やかさだったんだ。
 バックストレートを走る彼は、強風を避ける為にワザとペースを落として前方を走る選手の背後に張り付いた。そしてメインストレートになったら追い風を味方にして一気に加速してみせたんだ。

 俺はそんな彼の走りに唖然とした。いや、感銘を受けたと言ったほうが正しい表現だろう。

 彼の走りは風の強い状況の中でのセオリーとでもいう正攻法な走行技術だ。
 でもそれを実戦で垣間見た俺は衝撃を受けたんだよね。知識としては当然のことながら持ち得ていた走行法だけど、でも効率良く走り行く彼の姿に俺は灼然とした輝きを見つけたんだ。

 やっぱり強豪校の看板を背負う選手っていうのは伊達じゃないんだよね。それによく考えてみれば、俺の想像は最初から間違っていたんだ。
 彼はレースに感心が無く呆れていたんじゃない。レースに勝つ事を真剣に考えていたからこそ、察し得るアクシデントの危険性から身を守るために、あえて後方へと陣取っていたんだ。

 そんな精悍な後ろ姿から推測するに、彼は既に箱根のレギュラーの座を確固たるものにした選手なんだろう。だからこそ、余裕を持ってレースを後方から始める事が出来ていたんだ。
 むしろ前方に詰め掛けていた選手達の方こそが補欠ギリギリの選手達であり、自分を必死にアピールしたいが為に、気持ちが不用意にも前のめりに成り過ぎていたんだろう。

 見よう見真似だったけど、俺は彼の走りに続いた。
 バックストレートでは抜けそうな選手であっても、俺はあえてその選手にスピードを合わせて背後に寄りつく。吹き付ける強風から身を守る為にね。そして風向きの変わったメインストレートでは、耐え忍んでいたスピードを一気に解放して力強くトラックを蹴り、前を行く選手をあっさりと追い抜いて進んだんだ。

 するとさっきまで感じていた尋常でない苦しさが幾分改善された。
 またそれ以上に走るスピードにキレが戻って来たんだ。本当にその時は驚いたよ。自分でも信じられないほど自然に体が前に進むんだからね。

 そこからの俺は完全に走るリズムを掌握していた。
 大袈裟なほどにメリハリを付けたレース運びは、俺に走る楽しさを呼び起こしてくれたんだ。

 バックストレートでは馳せる気持ちをグッと堪えて誰かの背後に張り付き、そしてメインストレートでは追い風を利用して自分の実力以上の早さでトラックを駆け抜ける。
 そんなリズムをつけた走りはこの上なく俺の気分を高揚させたんだよね。試合で走るっていうのは、こんなにも気持ちが良いものだったのか――って具合にさ。
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