明日へ馳せる思い出のカケラ
 幸いな事に、そのフェンスの倒壊に巻き込まれた選手はいない。でも高さ5メートルはあろうフェンスがトラックに横たわってしまったんだ。それも先頭集団の行く手をはばむ恰好で。

 ただ何故か、その光景を目にした俺の足に少しだけ力が戻る。
 あれほど重かった足が、意識せずとも力を込めて前へと蹴り出せたんだ。

 立ち往生する先頭集団までとの距離は三百メートル弱といったところか。少しくらい力が戻ったからって、とても追いつける距離じゃない。
 そんなのは重々承知だ。でも俺の足は枯れ果てたはずの体力を強引に絞り出し、駆ける事を止めようとはしなかったんだ。

 ハンマー投げの選手達が急ぎフェンスをコースから取り除く。
 その間先頭集団は待ちぼうけを食っていたが、レースに支障が無い程度にフェンスが撤去されると、何事も無かったかの様に彼らは競技を続行し始めた。

 あれほどのアクシデントが目の前で起きたにもかかわらず、先頭集団の選手達は随分と冷静なモンだと感心する。
 期待はしていなかったけど、さして俺との距離は縮んではいない。

 でもタイムを僅かでもロスしたのは事実なんだ。追いつけるはずがないと分かりきっているのに、その時の俺は無理やりこじ付けをして自身を駆り立てる為の理由を思い描いた。
 だって俺はあの輝きの中の人影を見て思い出したんだよ。俺がこのレースに誓った本当の決意をね。

「君だけの為に走る」

 それが俺の誓った全てだ。そしてその姿勢とは、最後まで頑張りきったものを指し示すはずなんだ。

 きっと君の事だから、たとえどんな姿であろうとも俺がゴール出来れば喜んでくれるだろう。
 でも最後に諦めた終わり方で本当にいいのか? いいや、そんなの良いわけがない。
 自分勝手に掲げた誓いだけど、やっぱり君には精一杯に最後まで走る俺の姿を見せて上げたいんだ。だから今は微かな望みであろうとも、それにすがって走り続けたい。諦めなければ、奇跡は起きるかも知れないんだから!

 胸の奥に仕舞い込んだ熱い誓いを拠り所にして懸命に駆け続ける。するとそんな俺の目に、またしても信じられない事態が飛び込んで来たんだ。

 スタート直後から先頭集団を引っ張っていたアフリカからの留学生の彼。その彼が突然転倒してしまったんだ。
 ただあまりにも予想外だったんだろう。後方を走る選手達は、転倒したその彼を避けきれずに接触してしまう。そして連続的に多数の選手が転倒してしまったんだ。

 会場は騒然となった。ゴールまであと2周というところで立て続けに連発したアクシデントに、観衆の多くが悲鳴にも似た声を漏らしたんだ。

 そんなある種の緊迫した状況の中で、俺はひた向きに前を目指した。
 肉体的な限界はとうに超えている。でも転倒した彼が物語る様に、疲労困憊なのは皆同じなんだ。
 誰もがギリギリのところでレースを戦っている。だから俺だって、弱音なんか吐いてはいられないんだ。
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