明日へ馳せる思い出のカケラ
 正直焦ったね。これほどまでに体力と筋力が低下していたなんて、想像していなかったから。
 でも冷静に考えるまでもなく、それは当然の結果なんだよね。
 だって俺はあの大会以降、遊ぶ事を優先してロクに陸上の練習をしていなかったんだからさ。

 それに引き替え君は走る事を続けていた。いや、俺が遊び呆けている分、君は余計なほど練習に時間を費やしていたんだ。

 恐らく君は、一人孤独に感じる寂しさを紛らわせる為に走り続けたんだろう。
 かつて君は『走ってる時は、頭の中が空っぽになる』って言ってたからね。何もしないで俺を待つより、そうして体を動かす事で気持ちに折り合いをつけていたんだろう。

 何も考えずに済むというのは、不安を掻き消す事に直結するんだからさ。
 逆にそうでもしなければ、気遣わしい嫌悪感に押し潰されていたかも知れないだろうしね。

 それに君はやっぱり走る事が好きなんだ。
 高まる鼓動に早まる呼吸。それらがテンポ良くリズムを刻み、滑らかな波長を生み出した時、君は爽快感と共に今を生きる確かな実感を深く味わっていたんだ。
 だから君は微笑みながら走り続けていられたんだよね。

 君は心から走る行為を楽しんでいる。それって凄い才能だよね。感心するあまり、震えが止まらなくなりそうだよ。
 陸上をたしなむ俺にとって、それは敬意を表して余りあるほどの優れた感覚なんだからさ。

 俺は偽りなく、そう心でそう直感していた。そして少し前までの俺ならば、そんな胸の内の感覚に嬉しさや湧き上がる希望を抱いていたことだろう。
 君の走りに刺激され、それに奮起し俺自身も頑張たれたことだろう。でもその時の俺の感覚は、まったく逆の感情で溢れ返っていたんだ。

 練習をサボっていた俺への当て付けなのか。影でコソコソと練習を重ねて、俺より早く走る事に嬉しさを感じているのか。
 走りについて行けない俺のへばり果てた姿を見るのが、そんなにも楽しいのか。
 ふつふつと熱を帯びる悔しさが訝しい妬みに変化していく。

 それがどれだけみじめで、悪しき想いなんだって事は分かっていた。
 でもダメだったんだ。あの大会ではどんなに苦しくても足を前に踏み出す事が出来たのに、でも今はどう足掻いても体は動かない。
 その悔しさが結果的に君への低劣な捌け口として露出してしまったんだ。

「クソっ。今日はなんか気分が悪ぃから、帰って寝るわ」

 走る事を放棄した俺は、そう悪態つきながら一人帰り路についた。
 まるですねたガキそのものの様にね。

 逆恨みと同類な間違った怒りで胸の内を真っ赤に燃え滾らせる。
 でもそれが大きな過ちなんだって分かっていたし、直ぐに君に謝らなければいけない事も理解していた。
 けど気まずさに腰が引けていたんだろう。俺にはそれを行動として示す事が出来なかったんだ。
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