明日へ馳せる思い出のカケラ
 どうりで君からの音沙汰が無かったはずだ。

 携帯越しに聞こえて来るガラガラに擦れた声が、否応にも君の体調の悪さを感じさせる。でも不謹慎な事に、そんな声を聞いた俺はどこか胸を撫で下ろす安堵感を覚えていたんだ。

 ジョギングデートの日の俺の態度に業を煮やし怒っていたわけじゃない。極度の体調の悪さから、俺との接触を避けていただけなんだ。
 そう勝手に判断して安心していたんだよ、俺はね。

「何か必要な物はある? 今から見舞いに行くよ」

 俺は君にそう告げた。安心感を覚えた事で、少しだけど君を心配する気持ちの余裕が出来たんだろう。
 でも君はウィルス感染を避けたいが為に、その申し出を断ったんだ。

「ありがとう。でも今会うと風邪がうつっちゃうから止めとこう」ってね。

 それが会えない本当の理由じゃないって事に、俺は気付かない。
 ほんの数日前、あれほど冷たく君をあしらったのだから、本来ならそれをはじめに謝罪して然るべきはずなんだよね。
 でも俺はその対応を怠り、君が望む一言を最後まで伝えられなかったんだ。君はその一言だけを待っているはずなのにさ。

 それなのに俺は完全に履き違えていたんだよ。
 君が電話に出てくれた事。そして風邪をうつさない様に気遣ってくれた事。
 その配慮に安心しきった俺の考えは、君の望む方向とは真逆の場所へと向かって行ってしまったんだ。

 彼女に荷物を届けるのは、別に急ぎの仕事ではない。
 けれど面倒事は早く済ませるに限る。まして風邪を引いた君に要らぬ体力を使わせるなんてもってのほかだ。

 だからそんな面倒な仕事は俺一人で片づけよう。荷物をただ返しに行けば済むだけの簡単な依頼事なんだしねってさ。
 それに風邪ひきの君を病院に連れて行って、それが体力の弱った彼女にうつってしまっても大変だろうってね。

 そう思った俺は、一人で彼女の元へ向かう事を決めたんだ。
 君からのお願い事である『一人で彼女のお見舞いに行かないで』っていう言葉を、頭の片隅に置き忘れてね。
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