図書恋ーー返却期限なしの恋ーー
「着いたぞ」

 車の中、カーナビを見ながらここだろ? と哲が言う。ぼうっとしていたわたしは、慌てて窓の外を見た。生垣が入口に二本、門松のように立っている二階建てアパート。車はわたしの家の前に着いていた。

「ありがとうございました」
 急いで降りようとするわたしの言葉を遮るように、なぁ、と哲は口を開いた。
「奢ってやって、送ってやって、至れり尽くせりだと思わねぇ?」
「……はい?」
 言葉の意味がわからず聞き返すと、哲はニッコリ笑った。
「お礼にコーヒー飲んでってくださいって、言ってみ」 
 目を見開く。その後、警戒するように眇めた。
「やです」
 どんなつもりか知らないけど、ろくでもなさそうなことは少ない経験からもわかった。
「いいじゃんか。まだ八時前だぞ」
「散らかってて、人呼べる状態じゃないですから」
 言いながら、朝出て行ったときの部屋を思い出す。シンクには昨日の夕飯の食器がそのまま置かれている。全然きれいじゃないし、部屋干ししてる服とか下着とか、見られたくないものはたくさんある。

「それだよ、俺が求めてるのは」
 それなのになぜか、我が意を得たりとばかりに哲はこっちを指さす。

「部屋を見れば、そいつがどういう奴かわかるだろ。キャラ作りの参考にしたいんだよ」
 またそれか。
 うんざりしつつ、ああそうかと気づく。

 名前を呼ばせたり、「デート」に誘ってみたり。全部小説(しごと)のためなんだ。

 すとんと腑に落ちて、小さく息を吐く。そうだよなぁ、とやけにしみじみと反復した。

「――いいですよ」

 仕事なら、割り切ってしまえばいい。いちいち恥ずかしがる方が、なんか悔しい。
 こっちだって大人なのだ。いい加減翻弄されてばかりは嫌だ。

 急に態度を変えたわたしに哲は一瞬驚いた顔をして、だけど次の瞬間にはニヤリと笑った。この前と同じその笑い方は、獲物に飛びかかる前の獣を連想させて――。

 やっぱり、早まったのかもしれない。
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