図書恋ーー返却期限なしの恋ーー
父親は転勤族というやつだった。小学校は二回変わってる。友だちの上手な作り方、学校でも教えてくれればいいのに。一瞬で、この子は素敵な子にちがいないと思わせる挨拶のやり方とか。
転校先での最初の数週間はいつも憂鬱だった。それなのに、現実は容赦なく難問を突き付けてくる。体育では二人一組になりなさいと言われるし、遠足ではバスの席順を決めなきゃならない。転勤族の娘というより、人見知りなことが原因だって、今ではわかってる。
だけど子どもの頃のわたしにとって、友だち未満、みたいな子ばかりが周りにいる環境はツラかった。それで本ばかり読んでいた。
本のページをめくれば、そこにはたくさんの友だちがいた。一緒にいろんな夢を見て、冒険をした。一人で過ごす休み時間も恐くない。しかもそのうち、だれかが声をかけてくれる。それなに読んでるの? わたしもそれ知ってる!
本は友だちさえも連れてきてくれる。
履歴書の趣味の欄には読書と書く。だけどわたしにとって本は愛すべき存在で、大切なパートナーだった。本があったから救われたことを覚えてるし、感謝してる。
もしわたしと同じような子がいたら、今度はわたしがその子の助けになりたい。そう思って小学校の司書になった。
隣の区の小学校図書として三年を過ごして、先月からはこの白峯小学校に赴任した。緊張と期待で迎えた着任日、図書室の顧問だと副校長に紹介されたのが小林先生だった。
「小林先生、新しく来た司書の」
振り返った小林先生は、体にあった細身のスーツを着ていた。長めの前髪に鬱陶しそうに目を細め、形のきれいな唇を真一文字に結んでいる。アイドルみたいにカッコイイわけじゃないけど、独特な雰囲気のあるひとだとおもった。
「村田亜沙子です」
よろしくお願いしますと頭を下げると、それまでの表情を一変させて――思いきり破顔した。
「そうですか。はじめまして!」
小学校の先生は声が大きい人が多い。それでもその瞬間胸が高鳴ったのは、声の大きさに驚いたからじゃない。どこか気怠さをまとっていた男のひとが、一瞬のうちに爽やかな若者に変わったその落差に――今思えば消したい事実なのだけど――ドキリとしたのだ。
待って。なにいきなりトキメいてるのわたし。
「それじゃ後はよろしくね」
自分の席にもどる副校長に頭を下げながら内心慌てていると、向かい合う相手はニコニコしたまま小林です、と言った。
ああやっぱり感じの良い笑顔。胸がトキトキと音を立てる。
ヤバい、わたしもしかして――。
俺さ、と小林先生が朗らかな声で言う。
「本きらいなんだよね」
ピタリ。と胸の鼓動が音を止めた。小林先生は笑顔のまま頭をかいて、
「でもさ、本て見てると眠くなるだろ? だから、これ」
脇にある自分のデスクの抽斗から、銀色の鍵をチャラリと見せた。
「俺の昼寝スポットとして使ってるけど、気にしないでいいから」
「……はい?」
「図書委員の顧問で何がいいかって、昼寝ができるとこだよな」
悪びれずにそう言い切った小林先生を見て、数秒前の胸の高鳴りは「なかったこと」のフォルダに仕舞われた。
この男とは、仲良くなれない。
代わりにそう確信した。
転校先での最初の数週間はいつも憂鬱だった。それなのに、現実は容赦なく難問を突き付けてくる。体育では二人一組になりなさいと言われるし、遠足ではバスの席順を決めなきゃならない。転勤族の娘というより、人見知りなことが原因だって、今ではわかってる。
だけど子どもの頃のわたしにとって、友だち未満、みたいな子ばかりが周りにいる環境はツラかった。それで本ばかり読んでいた。
本のページをめくれば、そこにはたくさんの友だちがいた。一緒にいろんな夢を見て、冒険をした。一人で過ごす休み時間も恐くない。しかもそのうち、だれかが声をかけてくれる。それなに読んでるの? わたしもそれ知ってる!
本は友だちさえも連れてきてくれる。
履歴書の趣味の欄には読書と書く。だけどわたしにとって本は愛すべき存在で、大切なパートナーだった。本があったから救われたことを覚えてるし、感謝してる。
もしわたしと同じような子がいたら、今度はわたしがその子の助けになりたい。そう思って小学校の司書になった。
隣の区の小学校図書として三年を過ごして、先月からはこの白峯小学校に赴任した。緊張と期待で迎えた着任日、図書室の顧問だと副校長に紹介されたのが小林先生だった。
「小林先生、新しく来た司書の」
振り返った小林先生は、体にあった細身のスーツを着ていた。長めの前髪に鬱陶しそうに目を細め、形のきれいな唇を真一文字に結んでいる。アイドルみたいにカッコイイわけじゃないけど、独特な雰囲気のあるひとだとおもった。
「村田亜沙子です」
よろしくお願いしますと頭を下げると、それまでの表情を一変させて――思いきり破顔した。
「そうですか。はじめまして!」
小学校の先生は声が大きい人が多い。それでもその瞬間胸が高鳴ったのは、声の大きさに驚いたからじゃない。どこか気怠さをまとっていた男のひとが、一瞬のうちに爽やかな若者に変わったその落差に――今思えば消したい事実なのだけど――ドキリとしたのだ。
待って。なにいきなりトキメいてるのわたし。
「それじゃ後はよろしくね」
自分の席にもどる副校長に頭を下げながら内心慌てていると、向かい合う相手はニコニコしたまま小林です、と言った。
ああやっぱり感じの良い笑顔。胸がトキトキと音を立てる。
ヤバい、わたしもしかして――。
俺さ、と小林先生が朗らかな声で言う。
「本きらいなんだよね」
ピタリ。と胸の鼓動が音を止めた。小林先生は笑顔のまま頭をかいて、
「でもさ、本て見てると眠くなるだろ? だから、これ」
脇にある自分のデスクの抽斗から、銀色の鍵をチャラリと見せた。
「俺の昼寝スポットとして使ってるけど、気にしないでいいから」
「……はい?」
「図書委員の顧問で何がいいかって、昼寝ができるとこだよな」
悪びれずにそう言い切った小林先生を見て、数秒前の胸の高鳴りは「なかったこと」のフォルダに仕舞われた。
この男とは、仲良くなれない。
代わりにそう確信した。