図書恋ーー返却期限なしの恋ーー
「ほんとにメシ作ってくれるんだ」

 ニヤニヤ笑う哲の顔色はまだあまり良くない。運動会主任として張り切っていた副校長も心配して、今日はもう帰りなさいと定時になるとすぐに職員室から哲を追い返した。

「大したもの作れませんから、文句言わないでくださいよ」
 眉を寄せて念を押す。振りをして、落ち着かない自分をごまかしていた。

 ひとの家のにおいがする。

 男のひとの部屋に入るのなんて、親戚以外で初めてだ。わたしの部屋を「べつにふつう」と称した意味がわかった。哲の部屋はわたしの部屋以上にゴチャゴチャしている。ダイニングテーブルの上では郵便物と開いたままの雑誌が重なって置かれて、その上に空のペットボトルがいくつか倒れている。フローリングの床に散乱しているクシャクシャに丸まった用紙、クリップで留まった紙の束。開いたままのノートパソコンがソファの上に置かれていた。

「あー、ごめんな散らかってて」
 眉を下げて頭をかいている横顔は、珍しく本当に困っているように見えた。丸まった用紙を床から拾い上げて、なにやらブツブツ言っている。なんだろう。照れてるというか、恥ずかしがってる? いきなり部屋まで押しかけるように着いてきたのは、まずかったのかもしれない。今さらながら、自分が変に大胆なことをしてることに気がついた。

 だけど仕方ない。栄養あるものを食べさせてって、まどか先生が言ってたし。
 そう考えて、先ほどから両手で持っていたスーパーの袋を音をたててキッチンに置く。

「できるまで寝ててください。できたら起こしますから」
「その台詞、なんか嫁みたいだな」
 面白そうに哲が言う。ばっかじゃないの、という意味をこめてジロリと睨む。なのに哲は機嫌良さそうにニヤニヤと笑っている。
「いいからあっち行ってください」
 背を向けると、恥ずかしさをごまかすように乱暴にまな板を掴んだ。

 寝ててください、と言ったのに、背後からはキーボードを叩くカタカタという音が聞こえる。振り返ると案の定、哲はダイニングテーブルでパソコンに向かっていた。普段はしてない眼鏡をかけている。オシャレ眼鏡とはちがう、ごく普通の黒縁眼鏡が横顔をスマートに見せている。わたしはそっと目をそらした。
 
 見なきゃよかった。胸がざわざわとうるさく鳴って、落ち着かない。
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