図書恋ーー返却期限なしの恋ーー
 いつの間にか眠っていたらしい。漫画や小説じゃあるまいし、寝て起きたらハダカなんて人生ではじめてだ。

 ゆっくりと起きあがる。思ったより、体に違和感はない。別に何時間もアクロバティックな動きをしてたわけじゃないし、そんなものかもしれない。
 隣にいたはずの哲がいない。

 ベッドの端や下に散らばっている自分の下着や服を見て、その生々しさに起きて裸だったことより恥ずかしくなる。急いでかき集めて身につけると、寝室のドアを開けた。

 廊下に出ると、リビングから話し声が聞こえた。細く開いたままになっているドアから、スマホを耳にあてる哲の後ろ姿が見える。

「はい、はい。もうそろそろ原稿渡せると思います」
 仕事の電話かな。たぶん、官能小説の方の。一人にしておいた方がいいかな。
 部屋に入るか戻るか迷っていると、
「あー、はい。しましたよ、セックス」

 ――――え?

 どくん、と鼓動が一つ鳴る。
 しましたよ、セックス? なに、その報告。なんでそんなこと、だれかに言ってるの?

 ドクドクと胸が鳴る。この先を聞かない方がいい、と頭の中に警鐘が響く。それなのに、足は根が生えたように動かない。

「やーでもなんか、思ってたのと違うっつうか」

 哲がスマホを持つ手を変えて、背を向けたまま椅子に座る。もう洋服を着ているあの背中を、思いきり引っ掻いたのはついさっきだ。

「あんまネタになるようなことはなかったですねぇ。ご期待に添えなくてすいません」

 ハハッと哲が笑う。その笑い声を、どこか遠いもののように聞いていた。

 思ってたのと違う。
 言葉が頭の中でガンガンと鳴る。だらりと垂れていた両手が、小刻みに震えていった。

「ちょっと、なのではい、処女ネタはパスで。で、今度はもっと――」
 何気なく振り返った哲がこっちを見た。その目が見開かれる。椅子の背を握って、慌てたように立ち上がる。
「あ、亜沙子――」
 最低。
 そう呟いて、そのまま玄関に走った。その瞬間、違和感はないと思ってた下半身にピリッとした痛みが走る。

 最低。
 この体も、哲も最低だ。

 小説のネタにしたい、最初からそう言ってたじゃない。
 わたしに近づいたのも、キスもセックスも、全部小説のネタ作り。
 そんなことも忘れて、ほんとうに馬鹿だ、わたし。

 だけどあんな男に恋した自分が一番、最低だ。
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