図書恋ーー返却期限なしの恋ーー
 そう思って迎えた今日。アパートに帰りついて、終わった、と思った。

 話を聞いてくれるどころじゃない。不信感しかもってない。無理もないよな、あんな電話聞いたら、誰だってそう思う。

 昨日みたいにベッドに倒れこんで、天井の手前あたりの空気をぼうっと見ていた。原稿、と単語がぽつりと浮かぶ。今日の夜までには、とか言っちゃったよな。こんなことになった今、かなりどうでもいいんだけど、それでも約束は約束だ。

 切ったままにしていたスマホの電源を入れる。途端に編集から電話がかかってきて、なんで電源切ってたんですかと怒っていたけどどうでもよかった。
『で、どうしましょう次回作』
 次回作。なんにも思いつかない。

『なにかないですか、書いてみたいもの』
 黙ったままの俺に、編集が続けて言う。

 書いてみたいもの。そんなのもうない。もともと、くだらない対抗心ではじめた小説だった。あったのは反抗心と、多少のプライド。でもそれももう、どうでもいい。

 間を持たせる為のちょっとした合いの手さえ打たず、ただ黙っている俺は社会人としてけっこうまずい。失恋ってのは人をこんなに弱らせるんだな、とぼうっと思う。

 失恋。
 
 文字を心に浮かべたら、漂白されたみたいに真っ白だった心に思考が色を落とした。

 こんなんで失恋なんて、ふざけてるだろ。

 持ち前の負けず嫌いな自分がそう囁く。
 亜沙子は昨日、俺を好きだと言った。だから俺と寝たんだろう。あんな純粋な奴が、好きでもない男と、なんてありえない。

 亜沙子は、俺が好き。

 胸の中で唱えると、ベコベコにへこんでいた心がゆっくりと膨らんでいく気がした。

 俺も亜沙子が好きだ。想いあってるのに、こじれるなんて馬鹿だろう、それ。
 そう思うと、雲に覆われていたみたいな視界がふっと開けた気がした。

 やりようはある。必ずあるはずだ。

 体の酸素を入れ替えるように深く息を吐いた。開けた視界が、一冊の絵本をとらえる。
 
 わたしの初恋って、哲だったんですね

 あんなかわいいこと言う奴、絶対に手放せない。

 ふとひとつの考えが浮かんだ。ニヤリ、と久しぶりに笑みを口の端に浮かべる。耳にあてたままのスマホに向かって言った。

「俺、書きたいものできました」
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