図書恋ーー返却期限なしの恋ーー
 パァン! 

 空砲が鳴って、子どもたちと先生が走る。借りものにハンディがある先生たちは、最初から飛ばして子どもたちを置いていく。この大人げのなさが観客から笑いを誘った。
 三十メートルほど走ったところに置いてある紙を拾い上げた一人の先生が、「むりだよ!」と声をあげた。

『田中先生の借りものは、理科室の人体模型です』
 みんなにわかるように本部が放送をすると、客席の子どもたちからえーっという甲高い声がかかる。
『田中先生スタートしてください』
 有無を言わせない本部の放送に、笑いが起こる。後から来た先生も同じように難題を押し付けられていて、そのたびに子どもや保護者から歓声が上がる。隣のまどか先生も笑っている。わたしも笑った。だけどなんだか、おなかに力が入らない。
 もうすぐ哲の番になる。

 何度目かの空砲で、哲が走りはじめた。保護者のお母さんたちが手を叩いてキャーッと叫んでいる。六年二組の子どもたちが、腕を振りまわして応援していた。小林先生がんばってー! 高く弾むような声が、五月の空に吸いこまれていく。
 哲が紙を拾い上げた。

『小林先生の借りものは、図書室の本です』

 見間違いじゃない。哲がこちらを振り向いた。
 わたしはごくりと喉を鳴らした。
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