図書恋ーー返却期限なしの恋ーー
 三十分ほど経ったろうか。ふと小林先生を振り返ると、ちょうど用紙の一枚がはらりと机から落ちたのが見えた。小林先生はそれにも気づかず一心不乱になにかを書いてる――わけではなく、机に突っ伏して眠っていた。寝息に合わせて肩が健やかに上下している。
「なにやってんのあの人」
 けっきょく寝てる。
 呆れてつぶやくと、机に近づく。落ちた用紙を拾い上げた。
 ぺらり。
 なんの気なしに用紙をひっくり返す。原稿用紙だった。ボールペンで書かれた文字が、ところどころ二重線で取り消されていたり追加の文字が行間に書かれていたりする。先生はみんなそうなんだけど、小林先生もやっぱり字が上手い。原稿用紙いっぱいに、習字のようなきれいな文字を書いている。
 そのきれいな文字で書かれている文章を見て、すべての動きが止まった。

『だめよぉ、こんなところで』
 ーー珠美がシーツの上で身をくねらせた。
『そんなこと言って、おまえの体は俺を誘ってるじゃないか』
 ーーなんていやらしい女なんだと男は嗤った。

「――――は?」

 ーー珠美に覆いかぶさる男が動きを激しくすると、珠美は甲高い声をあげてーー。

「なんですかこれ!」

 焼けた石でも触ったかのように原稿用紙から手を離す。その声に驚いたように小林先生が顔を上げた。
「あ? どうした?」
「どうしたじゃないですよ!」
 猫の轢死体でも見たような顔で原稿用紙を指さすと、
「あんたなに書いてんですか!」
 こんな、これは、どう見ても。

 真っ赤になってその先を言えずにいると、視線の先を辿った小林先生は一瞬困ったように眉尻を下げた。
「あー見つかっちゃったか」
 けれどその口調はどこまでも軽い。
「見つかっちゃったじゃないですよ! 一体なにしてんですか」

 ここは神聖な図書室だ。の前に、小学校だ。壁一枚挟んだ向こうに、絵本を読んであげたばかりの子どもたちが沢山いるというのに。この変態教師はなにを考えてるんだ。

 室内で追いかけっこをして怒られた子どものように、小林先生はバツが悪そうな顔で頭をかいた。もっさりした黒髪がわさわさと音を立てる。
「ごめんごめん。俺も普段は職場で書かないんだけどさ、締切前で仕方なくて」
「締切ぃ?」
 混乱で、声が裏返ってしまう。警戒するように両腕を組んで見下ろすと、小林先生は頷いて言った。
「見ただろ? 原稿。俺小説家なんだよ」

 ただし、官能小説専門だけど。

 そう言って、ポカンとしてるわたしを面白がるようにニヤッと笑った。


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