図書恋ーー返却期限なしの恋ーー
カサリ、と紙の端が小さく音をたてる。わたしは口を開きかけて、閉じた。ずっと静かだった心がじわり、と震える。
これは。この話は。
「言ってたように、ネタになってもらったよ」
哲がゆったりと微笑みながら言う。
「……なんで、リンゴ?」
「真っ赤な頬が、かわいいなっておもったから」
優しい声が返ってきた。聞いたことがないくらい。いやちがう、と思い直す。
はじめて抱かれたあの時、わたしの名前を呼んだのは、この声だった。
哲を振り返る。わたしの反応をどう見たのか、痛みを我慢してるような、この顔にも覚えがある。
あの時わたしを抱いたのは、この声で、この顔だった。
言葉じゃない、形じゃなくて、ただ伝わったんだ。慈しんでくれることを。
ぐしゃり、原稿が手の中でよれて音を立てる。哲がこちらにかがみこむ。なにも考えられない。無意識に手を伸ばした。
固い腕がわたしを包む。ああ。
哲のにおいだ。
「愛してる」
くぐもった声がそう囁く。呼吸が止まった。
「……ばか」
白いシャツにわたしの涙が吸いこまれる。
やっぱり哲は悪い男だ。愛してるだなんて、わたしはまだ到底言えそうにない。
口にしたら最後、体も心も哲なしではいられなくなって、迷惑がられても諦めることができなくなってしまうだろうから。
「好き」
代わりにそう呟くと、さらに強く抱き寄せられる。
「やっと言ったな」
深く息を吐きながら、哲が囁く。首をめぐらして顔を見ると、嬉しそうに笑っていた。
「好きみたい、なんて、不確定なこと言うから」
いつかのように、髪の下の頭皮を指が擦る。
「経験ないから、流されてるだけなんじゃないかって、少しだけ」
そこで言葉を区切って、頭をそのまま自分の肩に埋もれさすように包みこむ。そうされながら、ちょっと、の先をぼんやりと探る。
少しだけ。
不安だった……?
いつも余裕がありそうに見えたけど、本当はそんなことないのかもしれない。ヴァージンでもそうでなくても、恋愛は誰にとっても不安で大変なもの、なのかもしれない。
無意識に頬を肩口に擦りつける。ごめんね、というように。
「亜沙子」
耳元で呟かれる名前。聞き飽きてるはずの自分の名前を、このひとが言うと特別なもののように感じるのはなぜだろう。
哲にとってもそうだったら、いい。
ゆらり。哲の顔が近づく。ふっと吐息が唇にあたる。頭皮を触っていた手がこめかみにずれて、顔近くの髪を耳にかける。
わたしは黙って目を閉じた。重なる唇のぬくもりにホッとして、体の力がぬける。すごく自然な流れで唇を開いたら、あたたかな舌が潜り込んできた。
校庭からはまた放送が聞こえる。わたしたちが急いで校舎を出たのは、この五分後のことだった。
これは。この話は。
「言ってたように、ネタになってもらったよ」
哲がゆったりと微笑みながら言う。
「……なんで、リンゴ?」
「真っ赤な頬が、かわいいなっておもったから」
優しい声が返ってきた。聞いたことがないくらい。いやちがう、と思い直す。
はじめて抱かれたあの時、わたしの名前を呼んだのは、この声だった。
哲を振り返る。わたしの反応をどう見たのか、痛みを我慢してるような、この顔にも覚えがある。
あの時わたしを抱いたのは、この声で、この顔だった。
言葉じゃない、形じゃなくて、ただ伝わったんだ。慈しんでくれることを。
ぐしゃり、原稿が手の中でよれて音を立てる。哲がこちらにかがみこむ。なにも考えられない。無意識に手を伸ばした。
固い腕がわたしを包む。ああ。
哲のにおいだ。
「愛してる」
くぐもった声がそう囁く。呼吸が止まった。
「……ばか」
白いシャツにわたしの涙が吸いこまれる。
やっぱり哲は悪い男だ。愛してるだなんて、わたしはまだ到底言えそうにない。
口にしたら最後、体も心も哲なしではいられなくなって、迷惑がられても諦めることができなくなってしまうだろうから。
「好き」
代わりにそう呟くと、さらに強く抱き寄せられる。
「やっと言ったな」
深く息を吐きながら、哲が囁く。首をめぐらして顔を見ると、嬉しそうに笑っていた。
「好きみたい、なんて、不確定なこと言うから」
いつかのように、髪の下の頭皮を指が擦る。
「経験ないから、流されてるだけなんじゃないかって、少しだけ」
そこで言葉を区切って、頭をそのまま自分の肩に埋もれさすように包みこむ。そうされながら、ちょっと、の先をぼんやりと探る。
少しだけ。
不安だった……?
いつも余裕がありそうに見えたけど、本当はそんなことないのかもしれない。ヴァージンでもそうでなくても、恋愛は誰にとっても不安で大変なもの、なのかもしれない。
無意識に頬を肩口に擦りつける。ごめんね、というように。
「亜沙子」
耳元で呟かれる名前。聞き飽きてるはずの自分の名前を、このひとが言うと特別なもののように感じるのはなぜだろう。
哲にとってもそうだったら、いい。
ゆらり。哲の顔が近づく。ふっと吐息が唇にあたる。頭皮を触っていた手がこめかみにずれて、顔近くの髪を耳にかける。
わたしは黙って目を閉じた。重なる唇のぬくもりにホッとして、体の力がぬける。すごく自然な流れで唇を開いたら、あたたかな舌が潜り込んできた。
校庭からはまた放送が聞こえる。わたしたちが急いで校舎を出たのは、この五分後のことだった。