図書恋ーー返却期限なしの恋ーー
「――――で?」
小林の低い声が頭上から聞こえる。わたしは冷や汗が止まらない。
「俺はロリコンにまちがえられたってわけだ」
いやショタコンか? どっちでもいいけど、とこめかみをヒクリと動かして小林が笑う。小林の脇に立つまどか先生が、耐えきれないようにケタケタ笑った。わたしの母親とあまり変わらない年齢だろうふっくらとした保健室の先生は、丸い眼鏡の奥の目を細めて言った。
「正義感があって良いじゃない。勇敢なお嬢さんだわ」
「おかげで俺は不名誉の負傷ですよ」
わたしは体の前で組んだ両手をもじもじと組み替えた。小林の頭には包帯が巻かれている。百科事典の角で額が腫れあがったようで、縫うとかではないけれど派手な見た目になってしまった。
いやでも、弁解の余地はある、と思う。昨日小林がヘンタイ――もとい官能小説家だなんて教えられて、キ、じゃなかった唇の接触事故まであってしまって、それであの場面だ。これ以上ヘンタイがなにをしても驚かない。
けれどそんなことを保健室の先生に打ち明けても仕方ないので、小林からのイヤミに耐えていると。
コンコン、と小さく扉がノックされ、六年生らしい男女が二人顔を覗かせた。
「先生だいじょうぶー?」
小林は顔を上げて子どもたちに片手を上げた。
「大丈夫大丈夫。おまえらちゃんと自習してるか?」
してるー、と答える子どもたちを見て、窄まっている肩がさらに狭くなった。経緯はともかく、六年二組が突然の自習を余儀なくされたのはわたしのせいなのだ。
子どもたちの後ろから、小さな男の子がそっと出てきた。心配そうに瞳が揺れてる。りゅうき君だ。
「りゅうき」
小林の顔が、ふっと緩んだ。おいでおいで、というように手招きをすると、りゅうき君がパッと明るい表情になる。子犬が飛び出すように、室内に駆けてきた。
「せんせい」
小林は飛びついてきたりゅうき君を座ったまま抱きとめると、大きな手で頭を撫でた。その顔は穏やかで、わたしに向けられる類のものとはまるでちがう。
「まだ授業中だろ?」
「だって先生、ケガ」
りゅうき君が頭に巻かれた包帯を見て、心配そうに眉を垂れる。身の置き場がなく目が泳いでしまうわたしを、りゅうき君は振り返ってキッと見上げる。ご主人を守ろうとする小型犬のようだった。
小林はそんなりゅうき君の頭を撫でたまま、ふっと笑う。
「先生は全然大丈夫だ。包帯かっこいいだろ? だからわざと巻いてもらったんだよ」
「ほんと?」
ほんと、と言って笑う小林の目はゆったりと笑みを描く。今まで見たことのない優しい顔。子どもが好きなんだ、と自然にわかってしまう。
横に立つ六年生の子たちが、
「先生早く教室来てよ」
と小林の腕を引っぱって言う。自分たちの担任に甘える下級生を見て、ヤキモチをやいてるみたいに。
小林は六年生に向かって笑いかけた。
「もうちょいしたら行くから、いい子で自習してろよ」
「いい子じゃないし」
ちょっとした憎まれ口を叩きながら、子ども二人は笑って出て行った。その姿を見て、ああ慕われてるんだな、とぼんやり思った。ヘンタイ教師のくせに。
「せんせい」
「仲直り、できたか?」
おずおずと話しかけるりゅうき君に、優しい声で尋ねる。
りゅうき君はコクンと頷いた。そうか、と小林がりゅうき君に目線を合わせる。
「よかったな」
頭に手をあてて、柔らかな笑みを浮かべる。りゅうき君は嬉しそうに身を捩った。
わたしが図書室にあるよ、と言った「さとし君」シリーズの絵本。それを巡って、友だちとケンカになったらしい。あの子よりぼくが先に見つけたのに。打ち明けるうちに興奮していき泣きだしたところを小林が宥めて、そこに居合わせたのがわたしだった。
りゅうき君に絵本があることを言ったのもわたしだし、なんだか責任を感じてしまう。
「亜沙子先生は、りゅうきのことを守ろうとしたんだぞ」
小林が言い聞かせるようにりゅうき君に言う、その声はやっぱり柔らかだ。
「だから、亜沙子先生を怒っちゃだめだ。守ってくれて、ありがとうって言えるか?」
りゅうき君は、まだ納得しきってない顔でこっちを見た。りゅうき君越しに目が合った小林は、もう怒ってないようだ。ホッとするよりも先に、二重人格め、と思ってしまう。なんとなく、顔見れない。
「ありがとう。ございます」
りゅうき君はぺこりと頭を下げた。小さなツムジが鼻先に来る。
どうしていいかわからず、おもわず小林を見た。小林はわたしを見ると、頷いて返事を促す。わたしはかがみこんでりゅうき君と目線を合わせると、意識的に笑ってみせた。
「どういたしまして。先生も、驚かせちゃってごめんね」
思いついて、付け足す。
「……りゅうき君は、本は丁寧に扱おうね」
その言葉に小林とまどか先生がそろって笑う。居心地悪いったらなかった。
小林の低い声が頭上から聞こえる。わたしは冷や汗が止まらない。
「俺はロリコンにまちがえられたってわけだ」
いやショタコンか? どっちでもいいけど、とこめかみをヒクリと動かして小林が笑う。小林の脇に立つまどか先生が、耐えきれないようにケタケタ笑った。わたしの母親とあまり変わらない年齢だろうふっくらとした保健室の先生は、丸い眼鏡の奥の目を細めて言った。
「正義感があって良いじゃない。勇敢なお嬢さんだわ」
「おかげで俺は不名誉の負傷ですよ」
わたしは体の前で組んだ両手をもじもじと組み替えた。小林の頭には包帯が巻かれている。百科事典の角で額が腫れあがったようで、縫うとかではないけれど派手な見た目になってしまった。
いやでも、弁解の余地はある、と思う。昨日小林がヘンタイ――もとい官能小説家だなんて教えられて、キ、じゃなかった唇の接触事故まであってしまって、それであの場面だ。これ以上ヘンタイがなにをしても驚かない。
けれどそんなことを保健室の先生に打ち明けても仕方ないので、小林からのイヤミに耐えていると。
コンコン、と小さく扉がノックされ、六年生らしい男女が二人顔を覗かせた。
「先生だいじょうぶー?」
小林は顔を上げて子どもたちに片手を上げた。
「大丈夫大丈夫。おまえらちゃんと自習してるか?」
してるー、と答える子どもたちを見て、窄まっている肩がさらに狭くなった。経緯はともかく、六年二組が突然の自習を余儀なくされたのはわたしのせいなのだ。
子どもたちの後ろから、小さな男の子がそっと出てきた。心配そうに瞳が揺れてる。りゅうき君だ。
「りゅうき」
小林の顔が、ふっと緩んだ。おいでおいで、というように手招きをすると、りゅうき君がパッと明るい表情になる。子犬が飛び出すように、室内に駆けてきた。
「せんせい」
小林は飛びついてきたりゅうき君を座ったまま抱きとめると、大きな手で頭を撫でた。その顔は穏やかで、わたしに向けられる類のものとはまるでちがう。
「まだ授業中だろ?」
「だって先生、ケガ」
りゅうき君が頭に巻かれた包帯を見て、心配そうに眉を垂れる。身の置き場がなく目が泳いでしまうわたしを、りゅうき君は振り返ってキッと見上げる。ご主人を守ろうとする小型犬のようだった。
小林はそんなりゅうき君の頭を撫でたまま、ふっと笑う。
「先生は全然大丈夫だ。包帯かっこいいだろ? だからわざと巻いてもらったんだよ」
「ほんと?」
ほんと、と言って笑う小林の目はゆったりと笑みを描く。今まで見たことのない優しい顔。子どもが好きなんだ、と自然にわかってしまう。
横に立つ六年生の子たちが、
「先生早く教室来てよ」
と小林の腕を引っぱって言う。自分たちの担任に甘える下級生を見て、ヤキモチをやいてるみたいに。
小林は六年生に向かって笑いかけた。
「もうちょいしたら行くから、いい子で自習してろよ」
「いい子じゃないし」
ちょっとした憎まれ口を叩きながら、子ども二人は笑って出て行った。その姿を見て、ああ慕われてるんだな、とぼんやり思った。ヘンタイ教師のくせに。
「せんせい」
「仲直り、できたか?」
おずおずと話しかけるりゅうき君に、優しい声で尋ねる。
りゅうき君はコクンと頷いた。そうか、と小林がりゅうき君に目線を合わせる。
「よかったな」
頭に手をあてて、柔らかな笑みを浮かべる。りゅうき君は嬉しそうに身を捩った。
わたしが図書室にあるよ、と言った「さとし君」シリーズの絵本。それを巡って、友だちとケンカになったらしい。あの子よりぼくが先に見つけたのに。打ち明けるうちに興奮していき泣きだしたところを小林が宥めて、そこに居合わせたのがわたしだった。
りゅうき君に絵本があることを言ったのもわたしだし、なんだか責任を感じてしまう。
「亜沙子先生は、りゅうきのことを守ろうとしたんだぞ」
小林が言い聞かせるようにりゅうき君に言う、その声はやっぱり柔らかだ。
「だから、亜沙子先生を怒っちゃだめだ。守ってくれて、ありがとうって言えるか?」
りゅうき君は、まだ納得しきってない顔でこっちを見た。りゅうき君越しに目が合った小林は、もう怒ってないようだ。ホッとするよりも先に、二重人格め、と思ってしまう。なんとなく、顔見れない。
「ありがとう。ございます」
りゅうき君はぺこりと頭を下げた。小さなツムジが鼻先に来る。
どうしていいかわからず、おもわず小林を見た。小林はわたしを見ると、頷いて返事を促す。わたしはかがみこんでりゅうき君と目線を合わせると、意識的に笑ってみせた。
「どういたしまして。先生も、驚かせちゃってごめんね」
思いついて、付け足す。
「……りゅうき君は、本は丁寧に扱おうね」
その言葉に小林とまどか先生がそろって笑う。居心地悪いったらなかった。