309.5号室の海
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「ゆりさん!今帰り?お疲れ〜!」
聞こえてきた声にぎょっとして横を見た。鍵をもった右手が、不自然に宙に浮いたままになっている。
今は、仕事から帰ってきて、3階に上がって家の前について、カバンから鍵を取り出したところ。その途端、隣の家のドアがすごい勢いで開いたのだ。
「ち、千秋くん?どうしたの?」
「え?ゆりさんが帰ってきた音が聞こえたから!」
犬かよ!と心の中で突っ込む。
しかし千秋くんの笑顔は、キラキラと効果音がつきそうなほどの輝きを放っている。
犬じゃない。彼はもはやアイドルだ。
「よく蒼井さんの家に行くって言ってたの、本当だったんだね」
「店から近いし。どうしても夜中とか朝に仕事終わるから、帰るの面倒なときは泊まるよ!」
「…もしかして、蒼井さんがわざわざ角部屋に住んでるのって」
「ね、優しいよね。従業員が2人泊まりに来ることだってあるからね〜」
1人暮らしのはずの蒼井さんが、どうして広い角部屋に住んでるのか不思議だったけど、そんな理由だとは。
オーナーとしての責任感とか、やっぱりあるのだろうか。
「ゆりさん、この後は?晩ごはんまだ?よかったら一緒に食べない?」
「し、質問が多いよ。一緒にって、どういうこと……?」
尋ねると、千秋くんはなぜか得意そうに笑った。