309.5号室の海

キッチンからその姿をこっそり見る。
こんなに幸せで、だけどすこし不安な不思議な気持ち、今まで味わったことがない。
ここからもう一歩踏み出すきっかけを、作れたらいい。


「お待たせしました!」

「赤ワインでいい?」

「はい」


蒼井さんがグラスにワインを注いでくれる。
お店に行ったときとは違う、受け取り方。ソファーに並んで座って、距離もいつもより近い。落ち着いた声がすぐそばで聞こえる。

グラスを合わせて、乾杯をした。
蒼井さんが選んでくれたというワインは、とても美味しかった。普段私が頼むお酒から、好みを推測してくれたのだろう。そういうちょっとした心遣いで、どうしようもなく嬉しくなってしまう。


「星野さん、料理上手だね……」

「料理は好きだけど、千秋くんみたいに得意とは言えないです。お口に合えばいいんですけど」

「おいしい。俺のために作ってくれたって思うと、余計に」


かあっと顔が熱くなる。
自分の言葉にどれほどの破壊力があるのか教えてあげたい。

こうして2人きりになってみると、いつもどれだけ千秋くんに助けられているかがよくわかる。
千秋くんがいれば、会話が途切れることなんてないし、何を言おうか考える間もなく話しかけてくれる。ムードメーカー的存在だ。


「あ、そうだ。これ預かってきたんだけど」


突然蒼井さんがそう言って、紙袋から何かを取り出した。
差し出されたものを受け取るときに、ちょっとだけ指と指が触れて、頭がパンクしそうになるのを必死に堪えた。
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