309.5号室の海
ドキドキして、あまりにもまっすぐな視線に息が苦しくなって、だけどそらせない。
「でも俺はここに来た。そういうこと」
「いない、ってことですか」
怖々とそう聞くと、蒼井さんがはにかんだようにニコッと笑った。
見たことのないその表情は、いとも簡単に私の心に突き刺さる。
「今日、結構楽しみにしてたんだけど」
もうだめだ。
負けました。完封負けです。
胸が痛い。
想いが募り過ぎて、リアルに痛いのだ。
「私も、です」
「本当に?だったら嬉しい」
ああ、もう。
照れ隠しのお酒ばっかり進んでしまう。
今度はまともに蒼井さんの顔を見れなくなって、俯いて自分の膝を穴が空くほど見るはめになった。
バーのこと、仕事のこと、このマンションのこと。
色々と話題は尽きなかった。
随分長い間話し込んでいるうちに、2本目のボトルが残り半分になっていた。料理もお腹いっぱい食べ終えて、今はちょっとしたおつまみだけがテーブルに乗っている。
さすがに、蒼井さんはかなりお酒に強いらしい。顔色一つ変えずに、淡々と飲み続けている。
「星野さんってお酒強いんだね」
「そういうわけでもないんですけど。このワイン美味しいので、つい……」
ふと気付けば、ソファーに座る2人の距離が、最初より心なしか近くなってるような。
だけどもう、今より離れようだなんて思えない。
いつの間にこんなに欲張りになったんだろう。
「ああ見えて1番飲めないのは千秋」
「そうなんですか!?……あーでも、なんとなくわかる気がします」
千秋くんがフラフラになってる姿を想像して、つい笑ってしまう。きっと耳もしっぽも項垂れていることだろう。