309.5号室の海
「わりーわりー、ったくあの課長、しょうもないことでかけてきやがって。……誰?」
滝本が、私の横に立ったままのカナちゃんを見て問いかけた。
「あ、ここの従業員のカナちゃん。カナちゃん、こっちは会社の同期の、滝本」
「よろしく。カナ、ちゃん?」
滝本が優しそうな笑顔を向けてそう言った。
こんな顔も出来るのか。知らなかった。
「よ、よろしくお願いします」
あれ、ちょっと、カナちゃんの顔が赤いような気がするんだけど。
カナちゃんは火照ったのか、頬に手を当てている。滝本は何も気付かずにメニューを手に取っている。
じとーっとカナちゃんを見れば、まずいとばかりに私の視線から逃げた。
(……ライバル、やめる?)
(や、やめない!)
さっきと逆だ。
「お待たせー!はい、サングリアとビール!」
ドンっと、テーブルにジョッキとグラスが置かれた。
千秋くんは本当に、空気をがらっと変えるのが得意だ。ただし、本人にその自覚はない。
他のお客さんに呼ばれて、千秋くんは離れていった。
こっそりカウンターの中に目をやると、蒼井さんはカクテルを作っているところだった。
下を向いているせいで、その表情は見えない。
ようやく静かになったテーブルで、滝本と2人乾杯した。