309.5号室の海
「迷ってるわね、その顔は」
仕事中、よけいなことばかり考えてしまって集中出来ずに、気分転換に休憩スペースで一息ついていた。
そんな私に、木佐貫さんが声をかけてきた。
「聞いたわよ。すごいじゃない、本社行き」
「……はい、すごく光栄、です」
「その言葉は、もっと嬉しそうな顔で言うべきだと思うけど?」
木佐貫さんは、長イスに座っている私の隣に腰掛けて、足を組んだ。
素直に喜んでいないのはバレている。
少し後ろめたい気持ちになって、木佐貫さんの顔を見れずにいる。
逆に見られているのがわかって、居心地の悪さを感じてしまう。
「私だったら迷わずに行くけどね。こんなチャンス2度とない。生まれ変わったってないわよ、今しか」
「は、い」
「それだけまわりからも期待されてるってこと。それに応えたいって思うし、自分の力を試したいしね」
太ももに乗せた自分の手を、ぐっと握った。
これは、説得されているんだろうか。
つまらない私情なんかで、潰すなと。
なにも言い返すことが出来ない。
私も、その通りだと思ってるからだ。
「でもね、少しでも迷う気持ちがあるなら、そんな中途半端な考えで行く必要ないと思うわ」
ああ、なんだそういうこと。
行くにしても行かないにしても、決めたんならやり抜けと。
どっちも手に入れようなんて考えは甘い、どちらかは諦めろと、そう言いたいんだろう、木佐貫さんは。