309.5号室の海
夜、仕事を終えてマンションに帰ってくると、エントランスの所に誰かが2人立っているのが見えた。
不思議に思ったものの、横を通らないとエレベーターも階段も使えないので、仕方なく近付いていくと、そのうちの1人と目が合った。
「…あ、こんばんは」
「!こ、こんばんは!」
その人は、今日1日ずっと頭の中を占領していた蒼井さんだった。いつも通りの無表情で挨拶を交わす。
「涼さん、知り合いっすか?」
蒼井さんの隣でキョトンとしている男の子がいる。
可愛らしい顔立ちに、明るい金髪がすごく目立つ。
「…知り合いっつーか、隣の家の人」
「ど、どうも」
「そーなんだ!いつも涼さんがお世話になってますー!」
ニカッと笑いながら、なぜか握手を求められた。
……可愛い。
まるで犬のような愛くるしさと、太陽のような眩しさに、断る理由が見つからずに握手を交わした。
「こら、千秋」
「あいたっ」
蒼井さんに頭を小突かれて、男の子が大袈裟に頭を抱えた。
見たことのない蒼井さんの姿に、さっきから動悸がすごいことになっている。
「初対面の人に馴れ馴れしい」
「えー、涼さんが堅苦し過ぎるんだと思いますけど」
「は?」
「何もないっす」
まるで正反対な性格らしい2人のやりとりに、ふふっと笑いがこぼれた。
「あ、おれ、涼さんと同じ職場の赤尾千秋(あかおちあき)っていいます!…あ、やべ、涼さんそろそろ行かないと」
「……星野さん、仕事お疲れ様。騒がしくてごめんね」
じゃあ、と言って、蒼井さんと千秋くんがエントランスの外へ出て行った。