309.5号室の海
「そういえば、昨日あの人が店に来た」
「あの人?」
「前に一緒に来てた、会社の同期?の人」
「え!滝本ですか!?」
知らなかった。滝本、あのお店のことそんなに気に入ってたんだ。
行くなら言ってくれればよかったのに。
「カナと結構長いこと喋ってたけど。あの2人知り合い?」
「え、そんなはずは」
ない、と言いかけて、前に滝本と2人で行ったときのことを思い出した。
滝本に話しかけられて、カナちゃん赤い顔してたような気がする。
あのときは、ちょっと照れただけかなと思ってたけど、どうも違いそうだと思った。
今度会ったとき、カナちゃんを問い詰めようと決意した。
2人で手をつないでいると、新幹線の到着を告げるアナウンスが響き渡った。
私が乗る新幹線だ。
蒼井さんは、つないだ手にぎゅっと力を入れた。私も、同じように握り返した。
「あの、メールも電話も、します。長期休暇にはこっちに帰ってきます。それから、合鍵も大事に、」
「うん、わかってるよ」
必死に色々話す私を、蒼井さんは優しく落ち着かせてくれた。
大丈夫だからって、言ってくれてるようだった。
「同じ気持ち、俺も。寂しいけど寂しくない」
「……はい」
「頑張っておいで。そしたら、ずっと一緒にいられるっていうご褒美が待ってる」
新幹線が近付いてくる。
あれに乗ったら、これからは遠く離れた家に帰る。