それでも僕が憶えているから
「ほんとですか! ありがとうございます」


わたしはホタルの方を横目で見て、“あんたもお礼を言いなさい!”と無言で圧力をかける。

ホタルが小さく舌打ちしつつも、ぺこっと先生に頭を下げた。

そこで16時を知らせる時計の音がした。
凪さんが戻ってくるまで、あと一時間ほどだ。

そろそろわたしたちも戻って、蒼ちゃんに体を返さなくちゃ。


「じゃあ、よろしくお願いします。今日は本当にありがとうございました」


携帯番号を紙に書いて渡し、深々とおじぎをしてから踵を返した。

先生がホタルに声をかけたのは、わたしたちが職員室を出る直前だった。


「あ、おい、坊主」


足を止めたホタルがふり返る。

先生は椅子に座ったまま体をこちらに向け、太ももの間で両手をこすり合わせながら、しばらく言葉を探した末に、ぽつりとつぶやいた。


「今年で10年になるんだよな」


……蒼ちゃんのお母さんが亡くなってから、10年。


「きっと生きてた頃は、やさしい母ちゃんだったんだろうな」

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