それでも僕が憶えているから

天国の同級生の面影を重ねるように、先生はホタルの顔をまぶしげに見つめた。

その視線から逃げるように、ふいっと背を向けるホタル。

西の窓から射しこむ陽が彼の背中を焼き、あぶら蝉の鳴き声が辺りを満たしていく。

押し殺したような低い声で、ホタルが答えた。


「わかりません。僕には」


ちくん、とわたしの胸がなぜか痛んだ。



   * * *


凪さんのマンションへの帰り道、ホタルはほとんど口をきかなかった。

わたしからも話しかけることはなく、混雑した東京の地下鉄に、ふたり無言のまま揺られた。

……よくよく考えてみれば。

ホタルが蒼ちゃんのお父さんを探すということは、人前では今日のように、水原香澄の息子として振舞わなくちゃいけない場合もあるのだ。

つまり、ホタル自身ではなく、花江蒼として。

それはどんな気持ちなんだろう。
誰からも本当の自分を見つけてもらえず、本当の名前を呼んでもらえず……。


そういえば以前からホタルは蒼ちゃんの両親のことを、あくまでも“蒼の”と表現していた。

まるで“自分には両親なんかいない”と主張するかのように。

いや、実際いないんだ。

ホタルには親なんかいない。
戸籍もない。
自分の体すらもない。

まるで蜃気楼のような、本当は存在しない人……。

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