それでも僕が憶えているから
何でもない。と言いかけたそのとき、背後の歩道から涼しげな音が聞こえてきた。
ふり返るとそれは下駄の音で、浴衣姿の女の子たちがおしゃべりしながら駅の方へと歩いていた。
そういえば今夜は夏祭りだ。
県内最大の埠頭で開かれる花火大会。
わたしも両親が離婚する前はよく連れて行ってもらったっけ。
そんなことを思い出しながら、しばらくその光景を無言でながめた。
からん、ころん、と下駄の音が遠ざかっていく。
心のモヤを払うような澄んだ音色。
夕闇に溶けかけた電柱の影を見つめながら、わたしは言った。
「ねえ。……お祭り、行かない?」
「おまつり? 何だそれは」
予想通りの反応。わたしは彼の方に向き直り、ぐいっと窓に近づいた。
「夏祭りっていってね、たくさん人が集まって、たくさんお店も出るの。花火だって上がるんだよ。すごく楽しいから行こう」