それでも僕が憶えているから
覚えているのは、そこまでだ。
次に気がついたときには、俺は病院のベッドの上にいた。
……母を失ってひとりぼっちの世界で。
残されたのは、左手の甲にくっきりと刻まれた傷だけだった。
“無理心中” “投身自殺”
聞き慣れないそんな言葉が、病室のまわりを行き交っていた。
“幼い子を道連れにしようとするなんて”
そんな風に憤っている看護師の声も聞いた。
大人たちの話す内容は、当時の俺には難しすぎて。
ただ理解できたのは、母が自ら命を絶ったことと、俺だけが助かったということだった。
警察の人が来ていろいろと訊かれた。
けれど俺は事件そのものについて何ひとつ覚えていなかった。
溺れた苦しさや恐怖も、どうやって左手の傷がついたのかも、そして、あのとき感じたであろうとてつもない絶望も。