それでも僕が憶えているから
わたしはおそるおそるフェンスをよじ登った。錆びた金属が音をたてて軋み、ぐらぐらと体が揺れる。
なんとか無事にフェンスの向こうに降り立つと、潮の匂いが急に濃くなった。
「すっごい静か……」
月は分厚い雲に隠れ、この場所を照らすものは何もない。
濡れて頬にはりつく髪の束を指で払うことすら、煩わしいと感じるほどの静けさ。
真っ暗な海にひとりぼっちで佇んでいると、なんだかとてつもなく遠い場所に来たような気がしてきた。
だけど、たとえ遠くまで逃げたところで、あの声が耳に張りついて離れない。
『実の親ですらいらない荷物を、受け入れてくれる物好きがどこにいるんだ』
怒り、悲しみ、孤独、絶望――いろんな感情が吐き気のようにせり上がってくる。
でもそれは口の中でもつれ、言葉としてうまく放出できなかった。
いつからだろう。ネガティブな感情を外に出すことができなくなったのは。
いつも我慢して、抑えつけて。
内側だけで溜まった黒い固まりは、さらにどす黒く腐っていく。