リリー・ソング

あの人ねえ、馬鹿ですよねえ。

と、家まで送ってくれる車の中で、榎木さんが笑いながら教えてくれた。

榎木さん、僕が音楽やめても、友達でいてくれる? なんて言うんですよ。音楽やめて、あんな人が何をできるって言うんですか? 能力の全てを音楽に注ぎ込まれてしまったような人なのにね…

本当に、その通りだと思った。
私が来るまでどうやって生きていたんだろうと思う。
一人じゃまともにご飯も食べられないで、寝ることもしないで、髪も伸びっぱなしで、来る日も来る日もパソコンと鍵盤に向かい合っている。

だけどそうやって出来上がった曲は、どれも誰も文句のつけようがないもので。
それだけで全てを許されてしまう。

深夜は脆いと榎木さんは言う。
だけど深夜は、茨の森を、たった一人で音楽という武器だけを手に、歩いて歩いて歩き続けて、私を探し出したんだ。
それを強さだと私は信じたい。
深夜の中にも、灯があると、信じたい。


ーー何かおかしい、と気づいたのは、仕事部屋から物音が聞こえた時だった。防音室なのに。

クリームが尻尾をぴんと尖らせて、そのドアを見ていた。
そうだ、だって、榎木さんが私を呼び出したということは、深夜は今日はオフだったということなんじゃないの?
どうして気づかなかったんだろう。
家にいたら、たとえ防音室にいても、私は深夜の気配を嗅ぎ取ることができるのに。

嫌な予感がした。

仕事中の深夜を邪魔したことはなかったけれど、私は重いドアを開けてその部屋に飛び込んだ。

「…深夜!!」
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