リリー・ソング
三枝さんが頭を下げた。
紺も、ごめん、と私を拝む仕草をした。
「相手がリリーさんで救われましたね。」
「笑い飛ばせばいいの、こんなこと。疚しいことないんだから。」
「いや、ちょっとは疚しいと思うけど…」
紺が情けない顔をして言う。
「全然相手にされてないじゃないですか。」
三枝さんに笑われて、紺がガックリと肩を落とした。
「じゃあ。」
三枝さんが車を降りてドアを開けてくれた。
私は足を外に踏み出そうとして、ああそうだ、と紺を振り返った。
「私、紺に本名を教えたこと、なかったよね。」
「え? ああ…」
そういえばそうだな、と紺が頷いた。
私は息を吸い込んだ。
「あのね。」
深く。歌い出す前のように。
「私の名前は百合。本当は、美山百合っていうの。」
「………え?」
紺が唖然として絶句した。
「…美山、って…」
三枝さんもさすがに驚いた顔をしていた。
本当に、黙っていれば意外と気づかれないものなんだ。
言ってしまえば、言う前に覚悟していたよりも全然、大したことじゃなかった。
沈黙が流れて。
やがて紺が詰めていた息を吐き出して、ゆっくりと、何度も頷いた。
「…そっか。」
「うん。じゃあ、またね。」
車から降りた私に、三枝さんが優しく笑いかけてくれた。
「次にお会いするのは、アネモスコープの試写でしょうね。」
「はい。楽しみです。」
私も三枝さんに微笑んで頷く。
「リリー、…頑張れ。」
紺がぽつんと車の中から言った。
「うん。紺も、頑張って。」
これが友達というものかしら、と私は思った。そうだとしたら、初めてだった。
こんなふうに心の何処かで、誰かと確かに繋がっている、と感じるのは。