リリー・ソング
深夜は一貫して、この件に関して何か言うことはなかった。
あんな記事なんかを真に受けるわけはなかったけど、感想一つ言わなかった。
「深夜、ちょっといい?」
夜、私は防音室のドアを開けてからノックした。それでも深夜はパソコンに向かったまま気づかなかったので、背後から近づいて顔を覗いた。
深夜は虚ろな目で、無音のアネモスコープを見ていた。
私と紺が、笑いあっているシーンだった。
改めて見ても、幸せな恋人同士にしか見えない。あんなものが演技と呼べるものではないことはわかっていたけど、我ながら感心した。それから佐藤監督の凄さと、紺の見事なリードに感動した。
「こんなもの見て…」
私の呟きに、深夜がびくっと痩せた肩を震わせた。
「びっくりした。…気づかなくてごめん。どうしたの?」
あれだけ紺を褒めていたから、監督はあのキスシーンをカットしていないのだろう。
それを深夜は何度も何度も何度も見ているのだ。ぴったりな音楽をつけなくちゃいけないから。
「深夜、免許持ってるよね? 今も運転できる?」
「えぇ?」
作業が進まないのも、私に会いたがらないのも、憔悴しきるのも。
何もかも全部、当然だった。
「どうかなあ。いつも榎木さんにしてもらっちゃってるからなあ。最後に運転したのはいつかわからないな。」
だけどこうして深夜は柔らかく笑うのだ。
愛しさを私と同じ瞳の色に浮かべて、憤ることもせずに。
「あのね。海に行きたいの。」
「今?」
「うん。今。」
深夜は驚いて、手を顎に当て考え込んだ。