大人の初恋
 彼はフッと頬を緩めた。
「またその時に考えよう」


 暫しの沈黙。私はたっぷりと間を持たせてから、ようやく口を開いた。

「いいわ、貴方と付き合うわ」

 何気なさを装い、グラスを拭いていたリョウちゃんが、“エ~ッ”と顔を上げた。
 それを横目に、私はサバサバと続ける。

「でも、嫌になったら即別れるからね。その時は逆恨みなんてしないでね」

「ああ、誓うよ」

 ホッと息を吐いた成瀬部長。
 キィンとクリスタルのグラスをぶつける。
 ジッと私を見つめた瞳。笑うと目頭に少しだけできるシワが、年齢の奥ゆきを感じさせた。

 私はほくそ笑んだ。

 いくらいい男でも、もう35歳のオジサンだもん。寧ろ、私の若さでホンキにさせてやる。そんな約束を後で後悔しないことね。


 グラスの中身を一気に煽った私は途端に大胆になって、彼の首にそっと腕を巻き付けた。

 コホンとリョウちゃんが咳払い。


 と、彼は私の腕をはずし、私の耳に唇を寄せて囁いた。

(出ようか。
 これ以上は、
 君の保護者が不機嫌になる)

 チラッと2人で仏頂面のマスターを見、笑い合った。


 ーーカランーー


 アンティークなドアの鐘が鳴って。

 私達は腕を組み、夜の雑踏へと紛れていった。

 私達が始まった夜。

 
 有頂天な私は、自分の愚かさにまだ気付いていない。

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