大人の初恋
「そうじゃなくて!
 私は忘れる必要なんてないと思うんです。私だってちゃんと覚えてる。
 お爺ちゃんとかお祖母ちゃん、小学校の時飼ってた犬…
 成瀬部長に奥さんのコト、思い出して欲しいんです」

「もう…僕のことはほっといてくれないか。悪いけど、カウンセリングや説法なら一通り受けたんだし。
 君が何に目覚めたのか知らないが、大事な時間をこんな男に時間をつかうべきじゃない」

 あからさまな迷惑そうな顔つきに、つい泣きそうになる。

 けれど私は今…必死だ。

 縋(すが)られることにもあしらうことにも慣れた彼。

 何でもいい。たとえ怒らせてでも。かれの琴線にさえ触れられるなら。

「大好きだった成瀬さんに忘れたられたら…
 奥さんがすごく可哀想」 

 一瞬、彼の顔が歪んだ。
 が、すぐに元のポーカーフェイスに戻る。

「バカをいうな。妻はもう」

「私が奥さんなら、絶対そう思います!
 成瀬サンしか知らない二人の楽しかった思い出も、無かったことにされるなんて」

 突き刺すような目線を感じる。
 でも、私は負けない。

「月並みですが。
 知ってる人が居なくなった時が、本当の死だと聞きました。
 貴方は自分が辛いばっかりに、楽しかったことまで、奥さんの存在さえ無かったことになさろうとしてる」
< 68 / 79 >

この作品をシェア

pagetop