100万回の祈りをキミに
外に出ると吐く息がわずかに白くて、もう季節は冬になっていた。
そういえば亜紀の病気が発覚したのもこんな時期だったな……とぼんやり考えてしまったけど、ハッと気づいてそれを打ち消した。
バスに揺られて、歩き慣れた家路へと続く道。
今日の晩ごはんはなんだろう。昨日はカレーだったから鍋がいいな、なんて思っていると前方の曲がり角から誰かが歩いてきて、私はすぐに顔を隠した。
ドクン、ドクンとうつ向きながら目が泳ぐ。
一瞬見えただけだから確信はないけど……きっと亜紀のお母さんだ。
亜紀のお母さんはスマホを耳に当てていた。距離が縮まってくる頃には話し声が聞こえてきて、やっぱりこの声はお母さんで間違いない。
『あ、もしもし?これから夕飯の買い物に行くんだけど、なにか食べたいものある?』
きっと電話の向こう側にいるのはお父さん。
『うーん。それはちょっと時間的に厳しいかな……え?今日少し遅くなるの?何時くらい?』
亜紀のお母さんとお父さんにはもう2年近く連絡もしていない。だからその顔を見たのは本当に久しぶりで……。
電話で話してるからなのか、お母さんは私に全く気づかない。
『そんなに遅くなるならもう少し早く言ってくれたら良かったのに。うーん。外食ね。ちなみにどこ?』
私の脳裏に残っているお母さんの顔は泣き顔で。亜紀が病気になってからその顔しか印象にないほど、いつも泣いていた。
それを思い出しながら、ゆっくりとお母さんは私の横を通りすぎていく。
泣いてばかりだったのに、お母さんの顔は笑顔だった。
『あそこの和食おいしいのよね。じゃ、何時くらいに待ち合わせしたらいい?……うん、うん……』
遠ざかっていくその背中を私は見つめた。
わかっている。
べつに亜紀のことを忘れたわけじゃないって。ちゃんと受け入れて前に進もうとしてるだけだってわかってる。
でも、それが積み重なって、亜紀を思い出すことも減って。どんどん日常から亜紀が消えていって。
そしたら、亜紀は本当にいなくなってしまう気がして。
その声も顔も体温も、記憶の中心から片隅に移動して。いずれその存在が消えてしまうんじゃないかって怖い。
だから私は亜紀を過去のものにしない。
ずっとずっと心の真ん中にいて、キミを消したりしないんだ。