食わずぎらいがなおったら。
終電近くで本数の少なくなった電車で、座って発車を待っていると、出発直前、平内が乗り込んできた。
私の目の前のつり革に手をかけて、荒い息を整えつつ見下ろす。目つきがきつい、ちょっと苦しそう。
走ってきた?
「ごめん、俺が悪い。すいません」
まだあがってる息のまま、一気に言った。失敗したって苦い顔してる。
ああ、私が余計なこと言われたからか。気にしたの、わかっちゃったか。自分のせいだと思ってるんだ? まあね、声掛けないでくれたらよかったのかな。
平内には最近いつも偉そうにされてたからね、いいもの見たかも。
なんだか急に気が晴れた。
「貸しひとつね」
「必ず返す」
からかおうかなと見上げて言ったら、即座に応えた。
ほっとしたみたい。怒ってるかと思ったのかな。
妙なところに顔出して2人のじゃましちゃったかとも少し思ってたんだけど、そうでもないのかな。社内の子をうまくかわしたかったのか。
別に邪推されたのは平内のせいじゃないし、まぁ、いいよ。
すぐにいつもの余裕を取り戻した平内は、遅いからとりあえず送る、と私の駅で一緒に降りてマンション前まで歩いていく。
人通りはあるし近いから、遅くても大丈夫な道なんだけどね。
平内は、あれ以上説明するでも言い訳するでもなかったから、やんでも雨の匂いがするね、なんて私もどうでもいいことを話しながら、なんとなくいつもよりゆっくり歩いた。
「見て、満月だよ」
薄曇りだった空に偶然出てきた月が嬉しくて言ったら、
「満月って犯罪率高くなるんだよね」
と物騒なことを言う。やめてよ、と言って笑った。
「呼んでくれたら、いつでも迎えに行くよ」
だって。さっき言ってた、借りを返すってこと?
「送ってくれてありがと、これでちゃらね」
帰り際に言っておいた。気にされても困る。
「香さんて」
言いかけて、迷ったようにだまる。
「なんでもない、ごめん」
また謝って、帰っていった。
ちょっと元気なさそう。女の子絡みの失敗はこたえるのかな。仕事では見せない顔かも。
何を言おうとしたんだろう。ちょっと気になった。