巫部凛のパラドックス(旧作)
 四月も終盤に差し掛かった。


 俺は相も変わらず巫部に付き合わされている。まあ、こんな生活にも慣れてしまったな。遺憾ながらだが。
 それにしても、巫部はいつもどうりなのだが、ゆきねの方はあれっきり顔を見る事はなかった。以前は平気な顔で学校に侵入し、我が物顔で居候を決め込んでいたのに、あの事件以来見ていない。まあ、当面は生かしておいてもらえるらしいからな。
 本日も夕刻になりやっと解放された俺は疲労と共に家路へと急ぐ。今日も早めに寝て明日に備えないと体がもたないなこりゃ。
 家に到着し、キッチンで水を一気に飲み干し、一息つく。今日は麻衣がきていないので、夕食は何にしようかなあ、と一人冷蔵庫の前で悩んでいると、唐突にリビングのドアが開いた。
麻衣でも来たのかと顔を捻ると、そこに居たのは以前俺をマジで殺しに来た少女だった。
なぜだろう、今の俺の心境は驚愕でも恐怖でもなく、ただただ安堵感だけだった。久しぶりに見たゆきねの表情は、何の変りもないが、一つ違っている所は、少し雰囲気が暗くなっているってこだ。
「…………」
 ゆきねは何も言わずただ立ち尽くしている。
「そんなとこに立ってないで座ったらどうだ?」
 そう言いながら冷蔵庫を漁ってみる。材料の具合から今日はカレーにでもするか。
「なんで……」
「ん?」
 弱々しい口調のゆきねに振り返ると、
「なんであんたはそんなに冷静なの? 殺されそうになったのよ。しかも私に。正直追い返されると思ってた」
 瞳の端に涙をにじませているゆきね。
「いくら斬れなかったといっても、私はこの世界のために、本気であんたを殺そうとした。もしかしたらあんたはもうこの世にいなかったかもしれないのよ!」
 少し強い口調でゆきねが詰め寄ってくる。
「わっ、私はあなたを……」
 そこまで言ってゆきねは言葉に詰まってしまった。まあ、確かに俺はゆきねに殺されそうになった。結果的に何か不思議なことが起こって今生きているわけだが、今のゆきねは俺を再び殺そうとしている訳ではないということだけは分かる。
「まあ、結果的に生きてたんだからいいんじゃないか? ネクタイは犠牲になったけどな」
 とりあえず、ゆきねに笑顔を向けてみる。何故俺がこんな行動に出てしまったのかはわからないが。
「それにしても、どこに行ってたんだ? たしかこっちの世界じゃ行く宛はここしかないって言ってたから、心配したぜ」
 そう言いながら夕食を作るべく、野菜のカットを始める。
「まあ、そんなところに突っ立ってないで、座ったらどうだ」
 未だリビングの入り口にいるゆきねをテーブルへと促すと、素直に椅子に座った。
 しばらくは無言が続いた。聞こえてくる音といえば、包丁がまな板をたたく音のみだった。若干の気まずさを感じながらも俺は、野菜と肉を煮込み、人類が生み出した最高傑作の逸品、カレーという素晴らしき料理が完成した。
 俺とゆきね、そしてさくらの分を皿に盛り、テーブルの上に並べていく、ついでにサラダを並べて立派な夕食が完成した。
「いただきます」
 両手合わせてスプーンで口へ運ぶが、目の前の少女は、視線を落としたまま手を動かす気配はない。
「どうしたんだ? 食べないのか?」
「……」
 ゆきねは無言でいる。
「冷めたらおいしくないだろ? 温かいうちにどうぞ」
「うん……」
 小さく頷くとゆきねは俯いたままスプーンを口に持っていった。
 しばらくは無言の食事が続く。食器が立てる音しか聞こえない状況に業を煮やした俺は何か会話に糸口を探そうとしていると、
「あっ、あの……」
 ゆきねは弱々しく口を開いた
「……私はここに居てもいいの?」
 これまでは考えられないような声だった。消え入りそうな声でゆきねは俺を見上げた。
「いいもなにも、俺はお前の手伝いをするんだろ? だったらここにいた方が都合いいんじゃないか?」
「……それはそうだけど、私の事怒ってないの?」
「さっきも言ったが、現に俺は無事なんだから、まあいいよ。それより巫部がニームっていうのは本当なのか?」
「うん。あの感じは間違いなくニームだわ。私にはわかるの」
「そうか、で、巫部を殺すと」
「そう。闇の世界の増殖を抑えてこの世界が救うには、ニームを殺すしかない。それが唯一の解決策なの」
「でも、人を殺すなんて大変な事なんじゃないのか? 警察ざたになるぞ」
「そこは大丈夫、全てが終わったら関係者の記憶操作をするから、ニームは最初から存在していないかったってことにする」
「そうか……」
 俺はスプーンを置き、考えてみる。入学式の日に目が合ったってだけで巻き込まれ、今まで散々わけのわからん目に遭わされてきた。だが、当の巫部は世界を滅ぼしかねないニームとやらという存在で、狩人のゆきねに殺されてしまう。今までは、一刻でも早く逃げ出したいって思ってたのに、こういう状況になると改めて思う。


 俺はあの状況を楽しんでいたんじゃないのか?
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